戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな20代独身会社員

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  • モットー:ほどよく頑張る。
  • 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

関東7名城の一つ!宇都宮城ヒストリー💖(1)宇都宮城のルーツと北関東で一代勢力を誇った宇都宮氏最後の当主 宇都宮国綱の幼少期までのお話

2021/10/28

こんにちは!戦国LOVEのアイコです!
先日、栃木県宇都宮市にある関東7名城の一つ、宇都宮城(宇都宮城址公園)に行ってきました✨

【 本丸の土塁と復元された櫓 】

『 宇都宮城 』といっても・・・

幕末の戊辰戦争の際に焼失し、第二次世界大戦後に都市開発が行われたため、遺構はほとんど残っていません。

本丸の一部の土塁が現存し、堀の外観や櫓などの建物が復元され、現在は、宇都宮城址公園として市民の憩いの場となっています。

今はこんなに穏やかで、家族連れでにぎわう平和な公園。
でもここ宇都宮城は、戦国~江戸~幕末にかけて様々な出来事が起こり、沢山の人間ドラマが生まれたお城なのです。

と言うことで今回から、宇都宮城の歴史をシリーズでお伝えしていきまーす!

宇都宮城に行ったことある人も無い人も、このブログを読んでから訪問してみると・・・

また見方が変わって、感慨深く感じること間違いなしww

第1回目の今回は、宇都宮城・宇都宮氏の始まりから、戦国大名としては宇都宮氏最後の当主となった宇都宮 国綱(うつのみや くにつな)の幼少期までをお伝えします💖

宇都宮城と宇都宮氏の始まり

関東でも屈指の名門、宇都宮氏。

宇都宮氏のルーツは、藤原家にさかのぼります。

平安時代、全盛期を築いた藤原道長の兄・道兼(みちかね)のひ孫、藤原宗円(ふじわらのそうえん)が、
当時源氏の頭領だった源義家(みなもとのよしいえ)の奥州征伐『前九年の役(ぜんくねんのえき)』に従軍しました。

その戦功により、宇都宮二荒山神社の神主職を命じられ、神社の南側に館を築城しました。
これが、宇都宮城の始まりです。

【 宇都宮二荒山神社 】

そして藤原宗円の孫 3代目 宇都宮朝綱(ともつな)の代から『宇都宮氏』という名字を名乗り始めました。

また5代目の宇都宮頼綱(よりつな)は歌人としても一流で、小倉百人一首の選定を、藤原定家(ふじわらのていか)に依頼した人物としても有名です。

【『英雄百首』歌川貞秀画 】

ちなみに分家として伊予宇都宮氏(愛媛県)、豊後宇都宮氏(大分県)があります。

このように藤原家を祖とする宇都宮氏は、神主・歌人・武士という様々な側面を持ち、文武に秀でた一族として、領地を広げ勢力を拡大していきます。

戦国時代初期には、17代当主 宇都宮成綱(しげつな)が現れ、

宇都宮氏全盛期を築き上げ、下野だけでなく下総(しもうさ/千葉県北西部)や常陸(ひたち/茨城県)にまで領地を広げ、北関東での支配的地位を磐石なものとしました。

そして成綱(しげつな)死後、息子の忠綱(ただつな)は強硬な支配強化を推し進めましたが、
偉大だった父のようには上手くいかず、

組織を掌握できずに家臣と対立や内乱が起こり、宇都宮氏は大きく弱体化してしまうのです。

父が偉大だと大変ですなぁ~。

その後も、当主が若くして亡くなり、幼い後継者が跡を継ぐという不安定な支配体制が続きます。

17代当主 全盛期を築いた成綱(なりつな)は49歳で没
18代当主 忠綱は、家臣が敵に寝返り31歳で暗殺
20代当主 尚綱(ひさつな)は36歳で戦死
21代当主 広綱(ひろつな)は32歳で病死

このため宇都宮家内部では、頻繁に家中分裂が起き、弱体化の一途を辿っていくのです。



さらには、北から上杉謙信、南から北条氏康という強敵が攻めてくるという危機的状況!
そんな過酷な中で、今回アイコが注目する22代当主 宇都宮国綱(くにつな)にバトンが渡されるのです。

えっ~!こんな時に家督を譲られても悲しすぎる・・・・。
国綱さんの「何で今なんだよ~!」って悲痛な叫びが聞こえてきそう!!

宇都宮さんのとこの当主、ことごとく上手くいってないよね。
誰がやっても同じじゃないの~?

宇都宮氏最後の当主 宇都宮国綱

永禄11年(1568年)国綱誕生。

天正4年(1576年)父の広綱(ひろつな)が32歳の若さで病没した時、国綱はまだ9歳でした。
今でいう小学3年生。家督は継いだけれど、自分で何か出来る力はありません。

年少であったことと父の死に付け込まれます。そこは戦国の世ですからね。

壬生氏や皆川氏などの、下野国内の反対勢力が活発化したことで、南からは北条氏の侵攻がさらに激化し始めたのです。

この前特集した佐野昌綱さんの時と同じ状況ですね。関東におけるこの時代の武将の境遇はどこも同じです。

ここで国綱をしっかりと支えたのが、実母の南呂院(なんろいん)でした。
実は南呂院には、強力な頼りになる助っ人がいたのです!

南呂院の実家は、常陸の雄・佐竹氏。
しかも兄は佐竹氏第18代当主、佐竹氏の全盛期を築き上げた佐竹義重だった!

この佐竹義重は、伊達政宗や北条氏康、上杉謙信などの大名も恐れた強い武将で、その強さから、
鬼義重』や『坂東太郎』という異名を持ち、恐れられていました。

ちなみに坂東太郎というのは、うどん屋さんの事じゃないのよ(あるけどねw)


『太郎』は、男という意味で、『坂東』というのは、利根川のことを指します。

利根川は『関東一長い川』つまり『関東一強い』という意味があり、太郎と合わせて、

坂東太郎 = 関東一強い男 と言われていたのでしょう。

こんなに強い兄さんが後ろに控えてるなんて、南呂院さん心強い!
ジャイアンがジャイ子を守る感じね。

何呂院は、実家の頼りになる強い兄、佐竹義重のサポートを受けた他にも、

下総・結城家に国綱の弟・朝勝(ともかつ)を養子に出し、末の弟・高武(たかたけ)は、有力家臣の芳賀家に養子に出して宇都宮氏を家を守るとともに、宇都宮・佐竹・結城連合で有力大名と対抗したのでした。

さらには甲斐(山梨県)の武田勝頼とも盟約を結ぶなど、周辺と手を結び関係強化に力を入れていきます。

さすが!母は強し!

ただ後々、芳賀家に養子に出した高武(たかたけ)との確執が、宇都宮家崩壊に原因になってしまうんですけどね。

今はまだ知る由もありません。

成長した国綱は、織田信長に通じ、
本能寺の変で信長が倒れた後は、豊臣秀吉に臣従して上手に世の中を渡っていくのですが・・・つづく💖

さて次回は、秀吉様の天下統一の総仕上げ、小田原征伐のお話からです。

小田原征伐に巻き込まれていく国綱。
宇都宮家の周りは皆、北条側につき四面楚歌!この危機的状況にどうする国綱!?

来週もお楽しみに~☆

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