プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
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今朝の朝礼は、月に1度の社長の講和♪
普段は新潟にいる上杉社長が来て、貴重な話をしてくれるから楽しみだな。
上杉社長「え~、最近の日本経済の動向は・・・、そして我が上杉商事を取り巻く状況は・・・」
ふんふん、なるほどね。さすが社長、毎回勉強になる!
だけど・・・
いつも必ず、以前ライバル会社が窮地におちいった時に助けた話、まぁ『敵に塩を送った』っていう自慢話を入れるんだよね(苦笑)
この “ 敵に塩を送った話 ” 毎回聞かされるから、もう耳タコなんですけど~~
って、隣を見たら・・・武田部長が号泣してる!!
またかぁ。。
武田部長、いつもこの話のくだりで感激して泣くんだよな。ちょっと引くw
何か、強い思い入れがあるのかもね。
でも確かに、窮地に陥った敵を助けるなんて美談!
なんだか戦国時代、関ヶ原の戦いの後の立花宗茂と島津義弘のあのエピソードを思い出すなぁ。
立花宗茂は、豊臣秀吉に「その忠義も武勇も九州随一」「九州の逸物」と高く評価された、柳川藩初代藩主。(現在の福岡県柳川市)
島津義弘は、「鬼島津」と呼ばれた戦国時代屈指の猛将で、薩摩国(現在の鹿児島県西部)島津氏の第17代当主。
まあ、2人とも戦国時代のスターだわね!!
この2人、関ヶ原の戦いでは、共に西軍(石田三成側)で戦って・・・。
立花宗茂は、急に東軍に寝返った近江大津城の城主・京極高次のせいで、急遽、大津城攻めに参戦し、
関ヶ原本戦には間に合わず関ヶ原敗戦後、大阪城に戻り、総大将の毛利輝元に「城に籠もって徹底抗戦しよう」と進言するも、受け入れられなかったため、自分の領地の柳川へ戻ることにした。
島津義弘のほうは、西軍の石田三成隊や小西行長隊、宇喜多秀家隊らが総崩れとなり敗走を始める中、
島津隊は、退路を遮断され敵中に孤立してしまう。
義弘は、一度は切腹を決意したが、敵中突破を決行!
義弘を逃がすため、甥の豊久や、多くの家臣が身代わりや犠牲になり、執拗に追いかけてくる徳川軍の追撃を払い、なんとか脱出に成功したのだ!
前置き長くなったけど、ここからがアイコの好きなエピソードでーす💖
さて、大阪城を後にした立花宗茂。
そして、命からがら、ボロボロの状態で関ヶ原から脱出した島津義弘。
敵の追撃に警戒しながら、九州を目指していた2人は、その道中ばったり遭遇したのだ!
実は立花宗茂の実父、高橋紹運は、1586年の“ 岩屋城の戦い ”で、
島津軍に攻撃されて討ち死にしていた(享年39)。だから、島津は実父の仇!
満身創痍の義弘と少数の家臣たちを見て、宗茂の家臣たちは、
「今こそ父君の仇を討つ好機なり」といきり立った!
けれど宗茂は、「敗軍を討つは武家の誉れにあらず」と言って退け、むしろ、
西軍に味方した同士、共に力を合わせて九州へ帰りましょう!と義弘達の護衛を申し出でて、
無事に九州までたどり着いたんだってさ。
いい話じゃない?
今の令和3年だって、戦国時代と一緒で、ビジネスは刺すか刺されるかの世界!
油断は禁物!
でも戦国時代に、こんなに義理・人情に厚い美談があったなんて、素敵💖
ところで、そうそう・・・
上杉社長と武田部長って、この前、長野県の川で一緒にバーベキューしたらしいんだけど、その時、なんか凄いケンカしたんだって!
何でいい歳した大人2人が、川でケンカなんかしたんだろうね?
しかも今回で、4度目らしいよ~
それ以来、武田部長ったら、
「キツツキ戦法が失敗した!」って、ブツブツ独り言いってるの。
なんなんだろうね?不思議よね。
終わり(*^^*)