
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは☆ 戦国LOVEのアイコです!
無事に父 家康との対面を果たし、正式に次男として認知された於義伊(おぎい)こと結城秀康✨
本多重次と兄 信康に支えてもらって、本当に良かったね💖
でも、ここからまた新たな試練が始まるんだよー
【 結城秀康/Wikipediaより 】
於義伊が家康と対面した2年後の1579年、於義伊5才の時、徳川家で大きな事件が起こりました。
事の発端は、嫁と姑の問題から。
そもそも信康(のぶやす)の妻で織田信長の娘である徳姫(五徳)は、今川の血を引く姑の築山殿と
折り合いが悪かったと言われてます。
ま、そりゃそうだね。
築山殿にとって織田と言えば、おじの今川義元を殺した憎き相手だもの。
【今川義元】
その織田の娘が、愛する息子の嫁になるなんて!
築山殿の嫁いびりが止まらない~
どんないびりかと言えば、例えばこんな感じ・・・
信康と徳姫の間に2人の女子ができたけど、男子は誕生していませんでした。
そんな徳姫に築山殿は『この!!役立たず』って嫌味を言ったり、信康に側室を迎えるように勧めたり。
怖い~~
そしてこの時、側室になったのが、織田家の仇敵 武田家家臣「浅原昌時」の娘。
(築山殿、ワザと武田を選んだね💧)
そして信康も、この側室を寵愛💖しちゃったもんだから(あらら💧)徳姫との夫婦仲に亀裂が生じます。
築山殿の嫌がらせを受け、ブチ切れた徳姫は、父 信長に対して12箇条の手紙を書いて訴えました。
築山殿が、自分と信康との仲を裂こうとするとか、武田関係者の側室を用意したとか、
信康は日頃から気が荒く、踊りの祭りの時、踊りが下手な者を銃で撃ったとか、
2人で武田に通じて謀反を企てている、などなど・・・
織田信長は徳川家家臣の酒井忠次(さかい ただつぐ)に確認したところ、全く否定をせず、
すべて事実と認めたもんだから、織田信長は家康に、信康の切腹を要求した。と言われているよー
嫁 VS 姑、織田 VS 今川のバトル!
どちらもマウント取ろうとして、
女性同士の嫉妬と恨みは、怖すぎる 💦
自分を不憫に思い、父 家康との対面を果たしてくれた兄、松平信康。
心優しい信康は、こうして自害させられました。享年21歳。
あ~~~のぶやす!!無念💦
さらに、母親で家康の正室 築山殿も殺されてしまいました。
ちなみに近年では、信長が家康に息子の切腹を要求したというより、
家康と信康の対立が原因で、家康本人が切腹させたという説が唱えられるようになっています。
真相はどうなんでしょう⁈
信康が切腹した同年、徳川家では、もう一つ大きな出来事がありました。
家康の三男として、徳川秀忠が誕生したのです!
母は家康最愛の側室💖と言われる、お愛の方(西郷の局)18歳。
翌年には、四男の忠吉が誕生します。
三男の秀忠の幼名は『長丸(ながまる)』と名付けられました。
家康さんは、
於義伊(秀康)の母親(お万の方)に興味なし。
一方で、長丸(秀忠)の母親(お愛の方)は、大好き!!
リアクションわかやすぅ~
これは、雲行きが怪しくなってきたよー
大丈夫かな?秀康さん。
長男 信康の切腹と、三男の誕生という出来事が起きた翌年の1580年、
家康は、この三男 長丸について、
今後は『竹千代(たけちよ)』と呼ぶように、家臣一堂に言い渡しました。
この『竹千代』は、松平家、徳川将軍家の跡継ぎの幼名で、
代々受け継がれる由緒ある名前だよ。
ちなみに、松平というのは三河国加茂郡(愛知県豊田市)の在地の小豪族で、
後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体です。
家康の父 松平広忠も、家康も、長男の信康も、幼い頃は代々『竹千代』でした。
そして今回、竹千代に命名したのが、三男の長丸(秀忠)って・・・
もしも~し!
家康さん、大丈夫ですか?
誰か忘れてると思うんですが。
【鬼滅の刃 5巻より】
って、鬼滅の刃の “胡蝶しのぶ” さん風に、ツッコミたくなるww
家康さん、於義伊(秀康)に対して、本当に鬼のようだよね。
しのぶさん、日輪刀(にちりんとう)で切っちゃって!w
本来、順番から言えば、次男の於義伊が、『竹千代』の座につかなくてはならないはず。
なのに、三男が『竹千代』になるなんて!
これで徳川家の跡継ぎは、
三男の長丸(秀忠)だと宣言したってこと!
さらに、四男は “竹千代の次” という意味で、
於次丸(おつぎまる)って名付けてしまった。
家康さん
於義伊を、完全無視!
鬼滅の刃的には、
『全集中!!無視の呼吸!』
と言ったところでしょうか⁈
弟は1歳にして、代々続く名前を受けついで、兄である於義伊(6歳)は、魚にちなんだ名前のまま。
実の父親なのに、冷たすぎる💦
これに怒ったのが、於義伊をお世話している鬼作佐(おにさくざ)こと、本多重次。
家康に猛抗議をしました。
ガオ~~!!
『こんなふざけた話が、どこの国にござる!!』
『於義伊様に何の不足があるのか?こんな利発なお子は滅多にありませぬ!』
WHY JAPANESE PEOPLE!!?
(ワイ!!ジャパニーズ!! ピーポー!!??)
【厚切りジェイソンDVDより】
なぜ、次男とばして三男なんだよ!
厚切りジェイソンもビックリだよねww
こうして家康を怒鳴りつけ、抗議した本多重次でしたが、この決定が覆ることはありませんでした。
それからというもの、於義伊と竹千代では、すべて竹千代が上・優先の生活が始まりました。
於義伊が竹千代と一緒に部屋に入ろうとすると、家康は、
『竹千代が先だ!これからはいつも順番を守れ!』と厳しく𠮟ります。
さらに、於義伊が何気なく竹千代を押しのけた時、家康は、
『竹千代にそのような振る舞いは許さぬ!』と叱りつけます。
於義伊、どんな気持ちだったんだろう?
この理不尽な感じ、悔しかっただろうね。
周りの家臣たちも、見て見ぬふり。中に於義伊を気の毒に思っている者もいたかもしれない。
ただ、『弟を立て、兄を無視するのであれば、後々、御家内紛になるのでは?』
そう噂されることもあり、家康自身も、今後の於義伊の処遇を思案していました。
そんな中、戦況がまた大きく動いていきます。
1582年 本能寺の変が勃発。
その後、一早く明智光秀を討ったのは、織田家生え抜きの武将 羽柴秀吉でした。
秀吉はその勢いで、権力争奪戦を繰り広げていきます。
【 豊臣秀吉 】
1583年 賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)では、織田家の北陸総督である柴田勝家を討つことに成功。
これに勝利した秀吉は亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し、天下人への大きな一歩を踏み出します。
一方その間、徳川家康は、所領を増やすため、東海地方の土地切取りに専念していました。
今までの三河、遠州の60万石に加え、駿河、甲斐、信濃も合わせ、130万石にまで増やし、
東海の覇王と成り上りました。
また秀吉は、京で政権を確立していきます。
その支配地域は、近畿、北陸、山陰、山陽の一部含めて、約630万石に膨れ上がりました。
ここまできたら、秀吉と家康、両者は衝突せざるを得ない状況!
家康は、織田信長の次男 織田信雄から頼まれて、秀吉こそ織田政権を盗み取った者だ!
という大義名分を掲げ、戦いを挑み、両者は小牧・長久手で激突することになったのです。
【 アイコ コメダでのモーニング💖 】
そして、この戦いが、於義伊の運命を変えることに・・・!?
つづく☆
次回をお楽しみにねー💖