戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

  • 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
  • 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
  • モットー:ほどよく頑張る。
  • 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

令和の今こそ学びたい織田信雄的生き方!最終回☆目指すは織田家復活!!ミッションコンプリートへ向け時は熟した!!『いつ動く?今でしょ!』豊臣を裏切り徳川へ走った織田信雄、その結末は?

2024/07/13

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皆さんこんにちは!アイコの部屋の時間です♪
織田信雄さん、今日もヨロシクお願いしまーす(*^^*)

早速ですが前回は、豊臣総大将という立場を蹴って、家康様側へ、というお話でしたね。
これって、アイコの好きなNHKの番組『英雄たちの選択』に出てきそうなシチュエーションだわ♪

晩年の織田信雄は、果たしてどちらを選ぶのか?みたいなナレーション入りそうww



結果、信雄さんは織田宗家の復活というミッションに基づいて、豊臣総大将という華やかな活躍、後世への名声を捨て、家康様側へつくことにしたんですね。

織田信雄 徳川家康になびく

はい。私の使命は、織田家を大名に復活させること!

別に、真田幸村みたいに後世の英雄にならなくてもいいですしね!(まぁ、正直あの人気は羨ましいけど・・・)

決断したら行動あるのみ!私は早速、家康様に手紙を送り、大阪城内の状況をお知らせしました。
きっと家康様は、敵の情報を知りたいでしょうからね!

え~!!いきなり敵の徳川に、豊臣内部の情報流しちゃうの!?スパイか?

改易後、困難な時にお世話になった、いとこの淀殿、頼りにされた秀頼を裏切るなんて💦
生き残るために、さっさと身をひるがえす。この非情ぶり、まさに戦国武将だわ。

それで、

徳川家康 織田信雄を歓迎

家康様は、私の手紙にとても喜び、わざわざ京都までに会いに来てくれたんです!
二条城でお会いして「よくぞ徳川方に来てくれた!」とスゴイ喜びようで♪

さらに、周辺の関西の大名に対し、『京都に足を運ぶ際には、信雄殿と会うようにしなさい』と命令を出し、私を、めちゃくちゃ良い破格の待遇で受け入れてくれました♪

すごーい!!家康様わざわざ信雄さんに会いに来て、さらに織田家復活を約束!?
さらに周辺大名に、『織田信雄詣で』を命令!?

豊臣を蹴って、徳川に走った信雄さんの選択が、吉と出ましたね!おめでとうございます!

でも・・・
家康様は、なぜ信雄さんを破格の待遇で受け入れたんだろう?
信雄さんって、もう、落ちぶれた織田、腐った織田なのに・・・

ちょっとアイコさん~言葉ストレート過ぎ💦

確かに私は、落ちぶれた織田かもしれませんよ。
でもね、やっぱりそこは『腐っても織田』、最強の織田ブランドが生きてくるわけですよ!

徳川家康 織田とは戦いたくない

家康様の心理としては、織田との戦は避けたかったんですよ。だって私が、豊臣総大将になったら、

って構図になるでしょ?これじゃ徳川が、天下を盗み取るイメージになっちゃいますよね。
当時、関西の民衆の間では、関東の徳川家より豊臣家の方が抜群に人気があったんです。

秀頼公が二条城を訪れた際、京都の民衆は、立派に成長した秀頼公に感心し、さらに豊臣の人気は上がったと聞いてます。さらに、我が織田家は、父信長の時代には徳川との同盟相手でした。

人気の豊臣と、同盟相手だった織田を裏切り勝ったとしても、

というイメージが浸透し民衆の統治はしにくいし、後世に悪く語り継がれます。

関ヶ原の戦い後、14年間もの間、世間のイメージや大義のために、表面的には豊臣を立てて我慢してきた家康様ですよ。最後の大決戦では、そんな失敗はしたくない!!

民衆のイメージって侮れないわよね。

最近の都知事選挙でも、SNS戦略がハマった石丸さんが、当初の予想を覆し蓮舫さんを押さえ、2位になったのも民衆のイメージだもんね~

家康さんも、ここで自分のイメージ戦略を考えたんでしょうね!

徳川家康、織田信雄への恩

それと、家康様が私を厚遇したのは、織田ブランドだけが理由じゃないんですよ。
アイコさん、小牧長久手の戦いでの、私の実績覚えてますか?

実績!?信雄さんって、何か実績ありましたっけ?

ちょっとちょっと~思い出してくださいよ💦
小牧長久手の戦いで、私は、家康様を救ったじゃないですか!

【小牧山城】

徳川にとってベストタイミングで『勝手に豊臣に降伏』したことにして、結果的に徳川のメンツを保ちつつ徳川を救ったのは、このわたくしです。

さらに戦後交渉で、豊臣と徳川の仲を取り持ったのも、わたくしです!

そんな私に、家康様は私に恩を感じていたようです。義理を重んじる方ですからね。
一度目の改易後、秀吉に掛け合って私を助けてくださいました。

二度の改易後にも、大阪城内にいる私を気にかけ、大阪の陣という大決戦の際には、豊臣から徳川に味方になったので、大変喜んでくれたのだと思います。

あの時、家康様を救ったお陰で、今後は信雄さんが救われたのね!
情けは人の為ならず、を実践してますのぉ♪

織田信雄 念願の大名へ復活!!

よくぞ聞いてくれました、アイコさん♪

大名に復活できたのは、大阪の陣が終わった1615年の7月です!
家康様から、大和国の宇陀と上野国の小幡、合わせて5万石の領地をいただき、晴れて大名として復活できました!!

信雄さん、ホントにご立派です!!大名復活のためブレずに行動し、苦労が報われましたね!

2度ある事は、3度あるって言うし。実は、またまたしくじっちゃたーとか続きがあったりして?

いやいや~さすがに、私も学びましたよ。もう選択は間違えないです!
これからは徳川260年の戦のない太平の世。だから織田家は、安泰です。

あ~良かった。これで晴れて織田家存続ですのう~。めでたしめでたし

さて、令和の今こそ学びたい織田信雄的生き方!!そろそろ終わりに近づいてきました。
信雄さん、改めて最後、皆さんにメッセージをお願いできますか?

織田信雄的サバイバル術

では最後に、織田家が2度改易の憂き目にあいながら、なぜ大名として存続できたのか?サバイバルのコツをお伝えしたいですね

戦国時代は、ご存じの通り、有力大名達が熾烈に争う超過酷な時代でした。

ほら、あの豊臣家、北条家、武田家の有力大名でさえも滅亡の憂き目にあっていますしね。

確かに。豊臣、北条、武田が滅ぶなんて、まさか!!って感じよね。
でも、戦いに敗れちゃったから仕方ないわよね。

いえいえアイコさん、皆、実際の戦いに敗れたことが原因じゃありません。

豊臣家はなぜ滅んだのか?

豊臣家はなぜ滅んだのか?もちろん直接的には、大阪の陣の敗北です。けれど家康様は当初、豊臣家を滅ぼそうなんて思っていませんでした。

豊臣家が、大阪から大和国(今の奈良県)に国替えをして、ただの一大名として存続してくれるなら、戦わないつもりだったんです。

しかし、豊臣秀頼と特に母の淀君は、その道を選びませんでした。それは何故か?

時代は、明らかに徳川の時代へ変化を遂げていたんですけどね。プライドが邪魔してそれに気づけなかった、もしくは認めたくなかったのかもしれません。結果、自ら破滅の道を選んだという訳です。

北条と武田 滅亡の理由

北条家も同様ですね。農民出身の豊臣秀吉に頭を下げたくなかったゆえに、戦いになってしまったんです。あれほどの勢力だった北条家が、あっという間に滅んでしまったわけです。

【小田原城】

武田家も、信玄から引き継いだ武田勝頼が、重大な場面で選択を間違えたんです。
上杉謙信没後の後継者争いで、なぜか上杉景勝側につき、北条と徳川を敵に廻し武田滅亡となってしまいました。

なるほどね。豊臣家も北条家も武田家も、十分に生き残る道があったって訳か。

現代の会社でも一緒だわぁ~。こわい、こわい、くわばら、くわばら。

織田信雄 凡人だからこその勝利

私はね、父のようなカリスマ性からは程遠く、目立つ優秀なリーダーでもない、凡人の次男ですよ。
父の夢、織田の天下布武なんて実現する力はありません。

でも、偉大な父は、人に恨まれやすく敵も多く、結局家臣に謀反を起こされ討たれて果てました。

だから、織田家を大名として存続させるという仕事は、

私はおバカ、凡人というイメージ持たれてますけど、そのお陰で生き残れたと言えるでしょう。
組織では、出る杭は打たれ、上の人から脅威に思われますよね。


でも、凡人の信雄を生かしても、毒にも薬にもならないだろうと思われてさえいれば、敵視されません。

徳川幕府は、江戸に近い関東の外様大名は、何か理由をつけてどんどん潰されているんですよ。栃木県の佐野氏だって、イチャモンつけられてお取り潰しになってます。

そんな中、我が織田家は、上野国(群馬)に、数少ない外様大名として、幕末まで大名として存続できたわけですよ!

自分の大切なもの、譲れないものだけを死守して、それ以外の事は『うまく負けていく』っていことが大切なのかもしれませんね。

織田信雄と楽山園

なんか勉強になっちゃったなぁ。
私も信雄さんのように、成功者になって、楽山園みたいな立派な庭園を造りたいな~。

あんなに大きな庭園、莫大なお金がかかってそうだけど?

実はあの庭園は・・・私お金出してないんですよ!
クラウドファンディングで資金を集めて作ったので♪

えッ!?クラウドファンディング?またまた、そんなIT社長みたいな事言って。
そんな昔にあるわけないでしょ
💦

ま、当時は、クラウドファンディングという言い方じゃないけどね。
有力大名の前田家、浅野家、池田家などから莫大な寄付を集め、7年かけて作ったんですよ♪

自分の庭園を造るのが、私の夢でしたからね!!

はぁ。なんか、ちゃっかりしてるというか💦
でも、苦労して我慢したあかつきには、最後良い事が待っていたのね!

織田信雄の人生はハッピー・エンド!!
自分で作った庭園でいただくお茶は、さぞかし格別な味だったでしょうね?

そうですねぇ。『庭園を想像しながら飲むお茶』は格別でしたよ♪

えっ!? 今『庭園を想像しながら飲むお茶』って言いました!?
何でわざわざ想像したんですか?

だって私、一度も楽山園に行ったことが無いので。

建設に7年もかかって、私は当時京都にいたし、もう歳とっちゃって行けなかったんですよね!
だから京都で、楽山園の立派な庭園を想像しながら、お茶をいただいてました。

今は、天国から楽山園を上から眺めながら、お茶をいただく毎日ですよ!

あれれれ・・・・。自分の夢の庭園には、一度も行ってないのね~残念!!
でも、なんかそうゆう抜けてるとこ、信雄さんらしいわ♪

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