プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
皆さんこんにちは!アイコの部屋の時間です♪
織田信雄さん、今日もヨロシクお願いしまーす(*^^*)
早速ですが前回は、豊臣総大将という立場を蹴って、家康様側へ、というお話でしたね。
これって、アイコの好きなNHKの番組『英雄たちの選択』に出てきそうなシチュエーションだわ♪
豊臣軍総大将として徳川と戦うか?
それとも、徳川に味方するか?
晩年の織田信雄は、果たしてどちらを選ぶのか?みたいなナレーション入りそうww
結果、信雄さんは織田宗家の復活というミッションに基づいて、豊臣総大将という華やかな活躍、後世への名声を捨て、家康様側へつくことにしたんですね。
はい。私の使命は、織田家を大名に復活させること!
そこに、下手なプライドや名声は必要ないんです!
別に、真田幸村みたいに後世の英雄にならなくてもいいですしね!(まぁ、正直あの人気は羨ましいけど・・・)
決断したら行動あるのみ!私は早速、家康様に手紙を送り、大阪城内の状況をお知らせしました。
きっと家康様は、敵の情報を知りたいでしょうからね!
え~!!いきなり敵の徳川に、豊臣内部の情報流しちゃうの!?スパイか?
改易後、困難な時にお世話になった、いとこの淀殿、頼りにされた秀頼を裏切るなんて💦
生き残るために、さっさと身をひるがえす。この非情ぶり、まさに戦国武将だわ。
それで、
家康様のリアクションはどうでしたか?
家康様は、私の手紙にとても喜び、わざわざ京都までに会いに来てくれたんです!
二条城でお会いして「よくぞ徳川方に来てくれた!」とスゴイ喜びようで♪
そして何と!織田家再興や領地も約束してくださったんですよ!!
さらに、周辺の関西の大名に対し、『京都に足を運ぶ際には、信雄殿と会うようにしなさい』と命令を出し、私を、めちゃくちゃ良い破格の待遇で受け入れてくれました♪
すごーい!!家康様わざわざ信雄さんに会いに来て、さらに織田家復活を約束!?
さらに周辺大名に、『織田信雄詣で』を命令!?
豊臣を蹴って、徳川に走った信雄さんの選択が、吉と出ましたね!おめでとうございます!
織田宗家の大名復活!
念願のミッションコンプリート!
でも・・・
家康様は、なぜ信雄さんを破格の待遇で受け入れたんだろう?
信雄さんって、もう、落ちぶれた織田、腐った織田なのに・・・
ちょっとアイコさん~言葉ストレート過ぎ💦
確かに私は、落ちぶれた織田かもしれませんよ。
でもね、やっぱりそこは『腐っても織田』、最強の織田ブランドが生きてくるわけですよ!
家康様の心理としては、織田との戦は避けたかったんですよ。だって私が、豊臣総大将になったら、
豊臣・織田連合軍 VS 徳川軍
って構図になるでしょ?これじゃ徳川が、天下を盗み取るイメージになっちゃいますよね。
当時、関西の民衆の間では、関東の徳川家より豊臣家の方が抜群に人気があったんです。
秀頼公が二条城を訪れた際、京都の民衆は、立派に成長した秀頼公に感心し、さらに豊臣の人気は上がったと聞いてます。さらに、我が織田家は、父信長の時代には徳川との同盟相手でした。
人気の豊臣と、同盟相手だった織田を裏切り勝ったとしても、
『徳川は天下を盗み取ったズルい奴』
というイメージが浸透し民衆の統治はしにくいし、後世に悪く語り継がれます。
関ヶ原の戦い後、14年間もの間、世間のイメージや大義のために、表面的には豊臣を立てて我慢してきた家康様ですよ。最後の大決戦では、そんな失敗はしたくない!!
民衆のイメージって、侮れないわよね。
最近の都知事選挙でも、SNS戦略がハマった石丸さんが、当初の予想を覆し蓮舫さんを押さえ、2位になったのも民衆のイメージだもんね~
家康さんも、ここで自分のイメージ戦略を考えたんでしょうね!
それと、家康様が私を厚遇したのは、織田ブランドだけが理由じゃないんですよ。
アイコさん、小牧長久手の戦いでの、私の実績覚えてますか?
実績!?信雄さんって、何か実績ありましたっけ?
ちょっとちょっと~思い出してくださいよ💦
小牧長久手の戦いで、私は、家康様を救ったじゃないですか!
【小牧山城】
徳川にとってベストタイミングで『勝手に豊臣に降伏』したことにして、結果的に徳川のメンツを保ちつつ徳川を救ったのは、このわたくしです。
さらに戦後交渉で、豊臣と徳川の仲を取り持ったのも、わたくしです!
そんな私に、家康様は私に恩を感じていたようです。義理を重んじる方ですからね。
一度目の改易後、秀吉に掛け合って私を助けてくださいました。
二度の改易後にも、大阪城内にいる私を気にかけ、大阪の陣という大決戦の際には、豊臣から徳川に味方になったので、大変喜んでくれたのだと思います。
あの時、家康様を救ったお陰で、今後は信雄さんが救われたのね!
情けは人の為ならず、を実践してますのぉ♪
それで、大名にはいつ復活できたんですか?
よくぞ聞いてくれました、アイコさん♪
大名に復活できたのは、大阪の陣が終わった1615年の7月です!
家康様から、大和国の宇陀と上野国の小幡、合わせて5万石の領地をいただき、晴れて大名として復活できました!!
信雄さん、ホントにご立派です!!大名復活のためブレずに行動し、苦労が報われましたね!
でも信雄さん、今度こそ大丈夫ですか?
2度ある事は、3度あるって言うし。実は、またまたしくじっちゃたーとか続きがあったりして?
いやいや~さすがに、私も学びましたよ。もう選択は間違えないです!
これからは徳川260年の戦のない太平の世。だから織田家は、安泰です。
あ~良かった。これで晴れて織田家存続ですのう~。めでたしめでたし
さて、令和の今こそ学びたい織田信雄的生き方!!そろそろ終わりに近づいてきました。
信雄さん、改めて最後、皆さんにメッセージをお願いできますか?
では最後に、織田家が2度改易の憂き目にあいながら、なぜ大名として存続できたのか?サバイバルのコツをお伝えしたいですね
戦国時代は、ご存じの通り、有力大名達が熾烈に争う超過酷な時代でした。
この乱世に、お家を存続させることは、凄~く難しいんですよ。
ほら、あの豊臣家、北条家、武田家の有力大名でさえも滅亡の憂き目にあっていますしね。
確かに。豊臣、北条、武田が滅ぶなんて、まさか!!って感じよね。
でも、戦いに敗れちゃったから仕方ないわよね。
いえいえアイコさん、皆、実際の戦いに敗れたことが原因じゃありません。
それ以前の、選択を間違えたから滅んだのです。
豊臣家はなぜ滅んだのか?もちろん直接的には、大阪の陣の敗北です。けれど家康様は当初、豊臣家を滅ぼそうなんて思っていませんでした。
豊臣家が、大阪から大和国(今の奈良県)に国替えをして、ただの一大名として存続してくれるなら、戦わないつもりだったんです。
しかし、豊臣秀頼と特に母の淀君は、その道を選びませんでした。それは何故か?
プライドが許さなかったんですよ。
時代は、明らかに徳川の時代へ変化を遂げていたんですけどね。プライドが邪魔してそれに気づけなかった、もしくは認めたくなかったのかもしれません。結果、自ら破滅の道を選んだという訳です。
北条家も同様ですね。農民出身の豊臣秀吉に頭を下げたくなかったゆえに、戦いになってしまったんです。あれほどの勢力だった北条家が、あっという間に滅んでしまったわけです。
【小田原城】
武田家も、信玄から引き継いだ武田勝頼が、重大な場面で選択を間違えたんです。
上杉謙信没後の後継者争いで、なぜか上杉景勝側につき、北条と徳川を敵に廻し武田滅亡となってしまいました。
なるほどね。豊臣家も北条家も武田家も、十分に生き残る道があったって訳か。
リーダーの選択一つで、栄華を誇る有力大名が滅んでしまう。
現代の会社でも一緒だわぁ~。こわい、こわい、くわばら、くわばら。
私はね、父のようなカリスマ性からは程遠く、目立つ優秀なリーダーでもない、凡人の次男ですよ。
父の夢、織田の天下布武なんて実現する力はありません。
でも、偉大な父は、人に恨まれやすく敵も多く、結局家臣に謀反を起こされ討たれて果てました。
だから、織田家を大名として存続させるという仕事は、
父信長でさえも実現できなかった、私が成し遂げた偉業だと誇れます。
私はおバカ、凡人というイメージ持たれてますけど、そのお陰で生き残れたと言えるでしょう。
組織では、出る杭は打たれ、上の人から脅威に思われますよね。
でも、凡人の信雄を生かしても、毒にも薬にもならないだろうと思われてさえいれば、敵視されません。
アイコさん知ってましたか?
徳川幕府は、江戸に近い関東の外様大名は、何か理由をつけてどんどん潰されているんですよ。栃木県の佐野氏だって、イチャモンつけられてお取り潰しになってます。
そんな中、我が織田家は、上野国(群馬)に、数少ない外様大名として、幕末まで大名として存続できたわけですよ!
人生、すべてに勝つことは出来ません。
負けることのほうが多い。
自分の大切なもの、譲れないものだけを死守して、それ以外の事は『うまく負けていく』っていことが大切なのかもしれませんね。
なんか勉強になっちゃったなぁ。
私も信雄さんのように、成功者になって、楽山園みたいな立派な庭園を造りたいな~。
ちなみにあの楽山園は、幾らくらいかかったんですか?
あんなに大きな庭園、莫大なお金がかかってそうだけど?
実はあの庭園は・・・私お金出してないんですよ!
クラウドファンディングで資金を集めて作ったので♪
えッ!?クラウドファンディング?またまた、そんなIT社長みたいな事言って。
そんな昔にあるわけないでしょ💦
ま、当時は、クラウドファンディングという言い方じゃないけどね。
有力大名の前田家、浅野家、池田家などから莫大な寄付を集め、7年かけて作ったんですよ♪
自分の庭園を造るのが、私の夢でしたからね!!
みなさんに賛同してもらい夢が叶いましたよ~
はぁ。なんか、ちゃっかりしてるというか💦
でも、苦労して我慢したあかつきには、最後良い事が待っていたのね!
織田信雄の人生はハッピー・エンド!!
自分で作った庭園でいただくお茶は、さぞかし格別な味だったでしょうね?
そうですねぇ。『庭園を想像しながら飲むお茶』は格別でしたよ♪
えっ!? 今『庭園を想像しながら飲むお茶』って言いました!?
何でわざわざ想像したんですか?
だって私、一度も楽山園に行ったことが無いので。
建設に7年もかかって、私は当時京都にいたし、もう歳とっちゃって行けなかったんですよね!
だから京都で、楽山園の立派な庭園を想像しながら、お茶をいただいてました。
今は、天国から楽山園を上から眺めながら、お茶をいただく毎日ですよ!
あれれれ・・・・。自分の夢の庭園には、一度も行ってないのね~残念!!
でも、なんかそうゆう抜けてるとこ、信雄さんらしいわ♪
信雄さん、長期間に渡りお越しくださり有難うございました!
凡人に見えつつ、その憎めないキャラを生かし、うまく負けながらも、ターニングポイントでは信念に基づいて行動、そしてちゃっかり目的を達成する生き方!!
とっても参考になりました♪
どうぞお元気で!また遊びに来てくださいね(*^^*)
では皆さん、また次回をお楽しみに(^^)/~~~