プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
大河ドラマ『豊臣兄弟』がより楽しめる!!天下人豊臣秀吉の姉・智(とも)が見た豊臣の天国と地獄とは!?三人の息子を失い、孫も夫も失い、失意の中生き抜いた92年の生涯!その悲劇と波乱の人生に迫るよー(*^^*)
こんにちは。戦国LOVEのアイコです。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」観てますか?
久しぶりの戦国ど真ん中、やっぱり戦国は血が騒ぐわ~!
そしてそんな2人を支えるのが、姉の智(とも)。
宮澤エマさん演じる、面倒見がよくて頼れるお姉ちゃんです。
実はこの智さん、
なんと92歳まで長生きしたんですよ!
戦国時代の92歳って、今でいうと、110歳クラスの超レジェンドね。
長生きして、弟・秀吉という天下人の栄光も、親族同士の血の粛清も、そして豊臣家の滅亡も…
すべて見届けた女性なのよ。
戦国の光も闇も、全部体験した人生。


今回はそんな智の、
想像を超えるハードモード人生を掘りしていくよー
智は尾張の貧しい農家に生まれました。幼いころから家族を支える、頼れる長女。
その弟のひとりが、のちの天下人 豊臣秀吉 です。
やがて智は結婚し、三人の息子に恵まれます。

この頃、秀吉にはまだ実子がいませんでした。
だから、智の子供たち(秀吉の甥たち)は、ただの親戚というレベル以上に、秀吉にとっては、将来、豊臣家を継ぐかもしれない大切な後継ぎ候補だったのです。
母親の智としては、誇らしい事。
でもそれが、悲劇の始まりになるとは・・・。
1590年ごろ。智の長男 秀次 は、秀吉から 関白 を譲りうけ、秀吉の正式な後継者になりました!

【豊臣秀次/Wikipediaより引用】
関白とは、天皇を補佐して政治を行う日本最高クラスの役職ね。
そして秀吉は京都に、豪華な屋敷 「聚楽第(じゅらくだい)」 を建てました。天下人・秀吉の権力を象徴する壮大な邸宅です。

『聚楽第図屏風』部分(三井記念美術館所蔵)
そして関白となった秀次は、この聚楽第に住み、政務を取り仕切るようになります。
諸大名がひざまずく。
豊臣家の未来は盤石。
誰もがそう思っていました。
智にとっても、まさに我が世の春だったことでしょう。
しかし――ここで大きな転機が訪れます。
1591年。今回の大河ドラマの主人公、弟 豊臣秀長 が病没。享年51。
秀吉を最も理解し、支え続けた名補佐役でした。
秀長を失ったことで、
豊臣家の歯車は、少しずつ狂い始めていくんだよ。

秀長という弟を失った智。さらに悲しみは続きます。
1592年、次男 秀勝 が朝鮮出兵中に、24歳で病死。1595年、三男 秀保 も17歳で突然死。

母としては、これだけでも十分すぎる悲しみです。ここで、
1593年、秀吉の実子 秀頼 が誕生。

ここから、空気が一変!豊臣家最大の悲劇が始まるんだよー
1595年。智の長男・秀次に 謀反の疑い がかけられます。
関白を罷免され、高野山へ追放されてしまうのです。
そして――切腹。享年28。関白まで上りつめた人物が、一気に地獄へ!

しかし本当の衝撃は、ここから。
秀吉の命令で、連座の罪を着せられた秀次の妻子、側室、遺児・・・30人以上が処刑されてしまうのです。場所は京都 三条河原。これが歴史に残る秀次事件 です。
さらに、智の夫 吉房 も連座の罪で讃岐へ島流し・・・

智自身も罪を着せられそうになりましたが、危うく難を逃れたとか。
こうして智は、息子を失い、ほどんどの孫を失い、家族を失いました。
お世話になった姉一家、親族を容赦なく処刑って。
戦国時代って、非情よね。
史料には、この時の智の心情は残っていません。けれど、
その悲しみは、想像を絶するものだったでしょう。

それでも智は復讐を選びませんでした。嵯峨野に 善正寺 を建立し、一族の菩提を弔います。怒りではなく祈りを選んだ女性。本当に強く、賢い人だと思います。
1598年。豊臣秀吉が死去。享年62。農民の子から天下人へ。激動の人生の幕が下りました。
こうして智は、
弟の秀長、
息子の秀次と孫たち、次男三男
弟の秀吉
を次々と見送ります。
智は、自分の息子や孫を死に追いやった秀吉の死を、
どう捉えていたんだろうね?
きっとビミョウで複雑な気持ちだっただろうね。
さらには、1612年流刑となっていた夫の 吉房 も死去。
そして――
多くの死を見届けて、もう充分!
そこに、長寿の智にさらに待ち受けていたのは…

そして1615年、大坂の陣が勃発。
結果、淀殿と豊臣秀頼が自害し、ここに豊臣家は滅亡したのでした。

こうして智は、
豊臣家の始まりも絶頂も終焉も、
すべて見届けたのです。
天下人となった弟、豊臣秀吉。
その栄光の陰で、姉の智は、あまりにも大きな悲劇を背負いました。
長男の関白・秀次は失脚し、切腹。
さらに幼い孫たちまでが処刑され、夫も流罪となり、一家は崩壊。
それでも智は、弟を公然と恨むことなく、出家して静かに生きました。

やがて弟・秀吉が亡くなり、
大坂の陣で、甥の豊臣秀頼も命を落とし、豊臣家は滅亡します。
息子と孫を奪われた悲しみ。
それでも、弟が築いた家が滅びていく寂しさ。
そのすべてを胸に抱えながら、
智はただ静かに、豊臣の時代の終わりを見つめていたのかもしれません。
1625年。智は 92歳 でその生涯を閉じます。
豊臣の栄光も、悲劇も、そのすべてを見届けた姉。
智の92年の人生は、まさに豊臣家の歴史そのものでした。
さて最後に、智の人生の『小さな救いとも言える出来事』をご紹介しておきます。
実は、智の血は、
完全に途絶えたわけではありませんでした。
次男・秀勝の娘は、なんとあの非情な『秀次事件』の処刑を免れた数少ない孫の一人だったのです。
彼女はやがて朝廷に嫁ぎ、その血筋は公家へと受け継がれていきます。

そしてその系譜は、遠く時代を越え、
現代の天皇へとつながっているともいわれているのです。
すべてを失ったかに見えた智。
けれどその血は、四百年の時を越え、今も日本の歴史の中に息づいているのです。
あ~もしも秀長が生きていたら――。
きっと、甥の秀次を追い詰める秀吉の暴走を止めたじゃないかな?
歴史に「もしも」はないけれど、ね。
秀長が生きていたら、智一家の運命も、豊臣の運命も、大きく違っていたんじゃないかなと思いませんか?
ではまた。大河ドラマ、一緒に楽しんでいきましょう(*^^*)
