
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは!戦国LOVEのアイコです。(^^)/ ポカポカ春めいてきましたね🌸
前田利家が死去、石田三成も引退し佐和山城へ。
邪魔者がいなくなった今、もう誰も家康を止められない!
今回は、家康が着々と天下への布石を打つ中で、結城秀康が重要な役割を果たしていくお話です☆
幼少期には愛されず疎まれた秀康は、この頃から一転、家康の信頼を勝ち取っていくんだよー
天下へ向けて、家康は大胆そして機敏に動き始めます。
まず、前田利家の死去わずか10日後の3月13日には、勝手に伏見城の本丸に入り込み、
住み始めてしまいました。
※家康の屋敷は、他の豊臣政権重臣と同様、伏見城本丸から離れた出丸にあったので、次は本丸を自分のものにしたい!という野心があったのです。
実は伏見城は、秀吉の遺言により、奉行の前田玄以と長束正家が留守を守っていたのですが、
前田玄以から、ちゃっかり鍵をだましとって、入城してしまったんだとか。
お前の鍵は、オレの鍵!!
家康さん、ジャイアン化してるね。
もう他の武将達、誰も逆らえません~
しかし、家康の勝手な振る舞いに反発してくる豊臣側の連中がいるかもしれない。
心配した秀康は、家康とともに伏見城に入り、その後約2ケ月、昼夜、寝る間も惜しんで家康の警護にあたりました。
まぁ結局、この時期の家康に反抗する人は誰もおらず、何も起きなかったけどね。
任務お疲れ様です~
幼少期には、疎まれて愛されなかった秀康さん。
そんな薄情な父親を懸命に守ろうとするなんて!!エライ!
長い間、離れ離れだったけど、急に父親と一緒に暮らし始めて、
どんな気持ちだったんだろう?
葛藤はなかったのかな?
次に家康がやったのは、諸将を解散させること。
実は多くの諸大名は、1598年8月の秀吉の死後から今まで、伏見城下の屋敷で過ごし、
国に帰国できていませんでした。
朝鮮出兵を終えてやっと帰国 ⇒ 豊臣秀次の事件で秀吉からの召集
⇒ 2回目の朝鮮出兵 ⇒ 秀吉の死 ⇒ 前田利家の死
諸大名達、上方での出来事に縛られて、帰れなかったのよね。
確か秀康さんも、ご懐妊の側室連れて一旦結城に帰国したけど、
すぐ伏見に呼ばれてしまって、そのままだったよね。
そこで家康は諸大名に対し、
『今、天下は落ち着いていて、秀頼様にとってご心配な点は何一つありません。
どうぞ皆さん国に帰って、お仕事に励んでください』
そう言って帰国を促しました。
わざとらしいのぉ~
天下は落ち着くどころか、お陰でますます不安定。
実は家康の狙いは、
三成を支えていた大名たちを帰国させ、
中央集権に関わる大物を自分だけにすること!
諸大名達が近くで口を挟んできたら、今後の謀略が先に進まないからねww
こうして上杉、佐竹、宇喜多、毛利、黒田、加藤らが相次いで伏見を離れ、領国に戻っていきました。
実際、長い留守の間、一揆が起こった領地もあり、早く帰りたいと思っていた大名達もいたのです。
さて、当の家康はというと、江戸は秀忠が守っているので、急いで帰る必要はありません。
さらに、秀康については、結城家当主であるにもかかわらず、帰国させずに、
引き続き自分の側近として、手元に置くようにしたのです!
秀康さんも結城家の当主ですよ!!家康さん!
なんか虫が良すぎませんか?
出生時は認知も拒み、疎んで豊臣家へ人質に出し、
駒の一つとしか考えていなかったのに。
長い期間、伏見で、息子と共にする時間が増え、
家康さんの中で、何か心境の変化があったのかな?
秀康さんの成長を、肌で感じ認めて始めているのかな?
諸将を国へ戻した家康は、次の一手、大阪城を手に入れることを企てます。
9月9日の重陽(ちょうよう)の節句(※菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだりして、不老長寿を願う行事)を利用して、大阪城の秀頼に挨拶に向かいました。
大阪城下の、もと石田三成の屋敷に泊まった家康。
夜中、家康の元に、増田長盛と長塚正家が密かに訪れ、『前田利長が家康暗殺を企てている!』
と密告してきました!
直ぐに家康は、使いの者を伏見城の秀康へ送り、
『暗殺の企てがあるから、伏見にいる兵をすべて、至急一人残らず大阪へよこせ』
と命令します。
さて、これを聞いた秀康は、首をかしげました。
(石田三成が去った後、そんな大胆なことを企てる大名が豊臣家にいるとは思えないなぁ)
すぐに対応はせず、しばらく考え込む秀康。
そんな秀康に対し『一刻も早く、全部の兵を出すようにと仰っています!』と催促する使いの者。
そして、何かピンときた秀康は、一言。
『全部の兵は出さない。半分残す。』
え~!!秀康さん、大丈夫?
家康さんの命令、無視ですか!!
暗殺されかけてる父親が、全部の兵を送れ!と命令してきてるのに、
背くとヤバくないですか?
秀康の言葉に焦る使いの者。そして秀康は、淡々と説明します。
『たとえ父上であろうと、ご運が傾く時は、たとえ何百万騎を走らせようと、
お助け出来るものではない。
もしも一大事が起きた時は、ここへも敵が攻め寄せる。この伏見城を空にして何とする!
備えを残して城を守ることは、城を預かった者として当然のこととは思わぬか?』
そうきっぱり言い放ち、大阪へ出す兵と伏見に残す兵の内訳などを書き、その書状を使いの者に持たせ
大阪に戻らせたのです。
そしてすぐに伏見城は完璧に兵の配備をして守りを固め、残りの兵3,800は大阪に送り、
明け方には大阪に到着したのでした。
秀康さん、何かカッコイイんですけど~💖
でも父親の命令を無視して自分の判断で兵を動かしちゃって
大丈夫?
翌日、家康は大阪城に登城し秀頼と対面しました。結局、何事もなく無事に、宿舎に戻ります。
さて、使いの者から、昨夜の秀康の様子を聞き、その書状を読んだ家康は、
『あいつは、大した奴だわ・・・』
と感心しきりだったとか。
特に家康が驚いたのは、書面の最後にあった追記の部分。
『もし伏見城内の兵を、一兵残さず大阪城に入れたら、愚かな者どもが、これは兵を大阪城に入れるために、
初めから企んでした事だと勘違いするかもしれません。』
要は、『やり過ぎるとこの暗殺劇が自作自演だってことがバレちゃいますよ。』ってこと。
秀康さん、家康の企みを見抜いて、あえて兵を送らなかったのね~
家康さん、息子の力量に驚いたね。
これは敵に回したら恐ろしい!と思ったでしょうww
秀康さんは、長く人質でいたから、
周りの人の心理を推測する事に長けていたのかな?
家康さん自身も、幼い頃から人質として過ごしてきたから、
自分と秀康さんを重ね合わせて、秀康さん力量に感服したのかもしれないね。
後に、秀康が伏見城ですべての準備をした上で、ゆっくりと碁を打っていたと知って、家康は苦笑いをしたとか。
起こりえない暗殺だから、ゆっくりと碁を打っていたんだね、秀康さん。
アッパレ!
ちなみに、疑いをかけられた前田利長は、母の芳春院(まつ)を江戸に人質として出して、一応決着。
さらには、奉行の増田・長束からは、
『このような謀略事件が再び起きないように、大阪城に移って国を守って欲しい』
と要請があり、家康はこれに応える形で、悠々と大阪城に乗り込んでしまったのです。
暗殺計画は、まさに大阪城に入るための、茶番劇だった!
家康さん、しっかりと目的達成!
これを見抜いた秀康さんも、凄いなぁ。
こうして、企てた通り大阪城へ居城を移すことが出来た家康。
これに応える形で、前々から家康が味方につけようと親しくしていた北政所は、西の丸を明け渡し、
京に移り住みました。
家康は西の丸にも天守を築き、本丸に匹敵する規模に作り変えていきます。
家康さん、ジワジワ、グイグイ攻めていきますのぉ。
でも、ここでもし北政所様が抵抗していたら、話は進まなかったはず。
北政所様は、側室の淀殿と秀吉より、
家康に天下を取らせるほうがマシだと思ったのかな?
家康さん、豊臣内部の亀裂を利用するやり方、天才だね!
本丸には秀頼と淀殿母子が、二の丸には家康が。
こうして大阪城は、二つの城と化したのです。
そして残された伏見城は、秀康が任されることに・・・
1600年、秀康が26歳の春のことでした。
秀康さん良かったね✨✨
長年、実父の家康さんに冷遇されてきたけど、
今までの苦労や理不尽な経験が無駄ではなかったね。
人の心を読んで心を掴む、秀康さんの実力が、
これから実を結んでいくよ!!
つづく☆秀康さんの活躍が楽しみだね!
次回をお楽しみに(^_-)-☆
参考文献:
梓澤 要『越前宰相秀康』/志木沢 郁『結城秀康』/Wikipedia