戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

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  • 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
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  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

戦国アイコが斬る!!徳川家康の人生三大危機の一つ「伊賀越え」!!でも実は、危機なんて大嘘!?「伊賀越え」は、事前に綿密に計画された超安全なルートだったよ説~(^^)/~💖

2023/08/02

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こんにちは!戦国LOVEのアイコです(*^^*)

毎日毎日、暑い日が続きますね! 先週の大河ドラマ「どうする家康」の「伊賀越え」も熱かった!

伊賀衆に捕らえられた家康さんが、斬首されるか!?と思いきや・・・まさかの本多正信登場で、ピンチを脱出!!

同じく伊賀越えをしていた穴山梅雪が「我は家康だ!!」と身代わりになって討たれるといういい人ぶり!

家康さん、かなり「行き当たりバッタリ」「ラッキーが重なって」無事に三河に帰れた感じですね。

今回も、妄想炸裂だった大河ドラマ♪
戦国アイコも負けずに、この「伊賀越え」について、妄想していこうと思いまーす♪

最初に、アイコの妄想をズバリ結論から言うと・・・

「伊賀越え」は、緻密に計画された逃避行だった!

はい、以上です(笑) 

では、なぜアイコがこう妄想するのか?
大河ドラマ「どうする家康」のストーリーに沿って、以下3つの視点から検証していくよ♪

検証①事前計画なしには、帰還不可能な距離だから

本能寺の変の後、家康がいた場所(通説では堺付近)から、三河まで、約200キロ。
この距離をたった3日で、32人全員無事に帰還した、と言われています。

家康一行32人は、徒歩ではなく、馬から馬へ乗り継いだと記されています(京都府宇治田原町史より)(※ちなみに、駅の漢字由来は、この馬の乗り継ぎ所から来ているよ)



きっと当時の状況は・・・


大勢の明智軍や伊賀衆が、血眼になって家康の首を狙ってウヨウヨしている!


そんな中、家康一行は、ドラマのように「ノープラン」で、とにかく急いで出発した!!

絶対絶命の中、「運良く」道の案内人たち、護衛の人たち、宿泊する場所を確保できた!

さらに、「運よく」32頭の馬を調達でき、移動した後、疲労した馬を乗り捨て、次の馬32頭に乗り継いで、また乗り継いで・・・

そして・・・最後は船を調達し、3日間で、無事全員が三河に帰還することが出来ました♪
危機一発!!めでたし、めでたし!!

って、おいおい!!
家康は、まさに「ありえない程の絶対絶命でも、必ず生き延びる」、ミッションインポッシブルのトム・クルーズか!?(笑)

三河までの、この神業レベルのルート調整や手配・・・どう考えても、急には出来ないんじゃないかなぁ?

だから、この難関な逃避行は、「事前の綿密な計画、準備があってこそ遂行できた」とアイコは妄想してますが、いかがでしょ?

検証②信長を討った後、ノープランはありえない!

ここで、ちょっと思い出してみて!
ドラマで家康は、信長を本能寺で討つつもりでしたよね。(唯一の友と言われて挫折したけど)

信長を討つため、茶屋四郎次郎や服部半蔵に指示をし、堺にまで出向いて、あんなにも用意周到に計画し準備していました。そこは、さすが慎重で知将の家康です。

じゃあ・・・

信長を討った後は、どんな計画だったのか?

慎重で常に人を疑い、知略を巡らせ計算高く、あの「関ケ原の戦い」を勝利に導いた徳川家康ですよ!

その家康が、「信長を討つ」という事前の計画だけを緻密に行い、
その後については「ノープラン」ってありえなくない!?

討った後の事も、しっかり計画していた

と考えた方が自然ですよね。

間違いなく家康は、本能寺の変の後、「近畿から三河に帰還するルート」事前に計画していたと思います。

それが「伊賀越え」のルートだったんじゃないでしょうか?

検証③伊賀越えルートが、記録に残っていないから

この「伊賀越え」のルート、実は今なお、歴史研究家の間で、どのルートを通ったのか様々な意見が飛び交っているそうです。

それは何故かと言うと、そもそもどこにも「正確な記録がない」から!!

では、ここで皆さん、ちょっと考えてみて~

家康、徳川一行とその関係は、「伊賀越え」について

なぜ、記録を残さなかったのか!?

敵に誰一人捕まることもなく、ラッキーに、全員無事に岡崎に帰れた!
この素晴らしい「逃避行の成功」を記録しなかったのはなぜ?

なぜならこれは、

家康にとって、機密情報だったから!!

この「事前に計画された近畿から三河の帰還ルート」は、極秘!!
記録する事は、許されなかったのです!

だって建前上、家康は「本能寺の変」の企てや、黒幕では全くなくて、

「本能寺の変」で信長が討たれるなんて、
超ビックリ!!

という立場を、「建前上」とらなくてはいけなかったのですからww

徳川家の正式な記録では、信長が討たれた事を「初めて知り」、あくまでも「慌てて」「無計画」で伊賀を越えていったストーリーを作る必要がありました。

だって、もし、「事前にルートを計画し準備していた」と本当の事を記録したら・・・

『本能寺の変を企てたのは家康だった!』と、自ら宣言するようなものだもんねww

まぁ、どの組織でも、トップシークレットって、外部に漏らさず関係者のみ知るものだよね。
アイコの妄想、実は本当にそうだったりしてww

どうしたアナ雪(穴雪)!何で身代わりに!?

さて、長くなったので終わりに・・・する前に、この人だけは触れておきたい!
それは、穴山梅雪!!※以下、アナ雪


ドラマでは、アナ雪が、『我こそは、徳川家康なり~』って身代わりになって死んだよね。

って、何で!? 家康が主君でもないのに、そこまでやる?
立場的には、信長の家臣として同等の立場だよ。

一戦国大名のアナ雪が死んだら、その家臣たち路頭に迷っちゃうよ。

家康の身代わりになる程の、恩があったの?


そこが全く描かれてなかったので、今回のストーリー、なんか腑に落ちませんねぇ。

そこで、アイコの妄想ストーリーはこちらです(笑)

↓ ↓ ↓

アナ雪は、家康が、「事前に帰還ルートを準備していた事」を知ってしまった!
知ってはいけない事を知ってしまったアナ雪、家康にとって邪魔になったので、誅殺されてしまった!!

天下を目指す徳川家康は、世間に対して、良いイメージを与えないとね!

「主君・信長を討とうと計画、帰りのルートまで準備してた」なんて・・・
謀反人には皆ついてこない!
だから「知り過ぎた男」部外者のアナ雪は、消されたのでは!?

さらに家康にとって、アナ雪は、もともと邪魔だったのかも知れません。
だって、アナ雪を消して元の武田領が空けば、そこを自分の領土にできるし。

伊賀越えという「どさくさに紛れて」きっとアナ雪を・・・?

さてさて、長くなったので、今日はこれでおしまい~☆(^^♪

今回の「伊賀越え」は、あくまでアイコの妄想ですが、

実際、私達が知っている「歴史」は、一次史料に基づいた事実ばかりではなく、

「勝者が作った歴史」

そんな視点から、あの徳川家康が世間に対し「伊賀越え」をどう見せたかったのか?
どう人の印象を操作したかったのか?

そんな観点で妄想してみたよ♪ 歴史は楽しいね♪

じゃあ、また次回(*^^*)

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