プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
お久しぶりです!戦国LOVEのアイコです(*^^*)
10月に入り、秋らしく過ごしやすい毎日になりましたね!
大河ドラマどうする家康、第37回『さらば三河家臣団』では、
北条が秀吉に、降伏してしまいました!
北条といえば、『下剋上・戦国武将の先駆け』の北条早雲を祖に、相模の地から勢力を拡大、関東を広く支配した名家。それが、なぜあっけなく滅んでしまったのでしょう?
ちなみにドラマでは、『なぜもっと早く降伏しなかったのか?』と家康に聞かれた北条氏政は、
『夢を見たから、かな。』
って、遠くを見つめて答えてましたねぇ。
小さな国々が争わずに助け合ってつながり、一つになる。
我らは、ただ関東の隅で、侵さず侵されず、民と豊かに穏やかに暮らしていたかっただけさ。
ちょっとナルシスト?ww(瀬名姫の『ユートピア』を一緒に夢見てたらしい。)
ただ現実は、
『関東の片隅で、ただ穏やかに暮らしていたかった』のとは、真逆!
北条軍は、関東をえげつない勢いで、ガンガン積極的に攻めていたのです。
アイコの住む下野国・宇都宮の城主だった宇都宮国綱や、茨城の佐竹義宣は、北条からのエグい攻撃を防御するのに必死だったんですよ~
宇都宮氏や佐竹氏こそ、マジで「関東の片隅で平和に暮らしていたかった」ww
関東での「攻める北条」と「守る北関東連合軍」の危機一発!涙ぐましい防衛!!
あの「沼尻の合戦」は、こちらに詳しく書いたので、よかったら見てね!
↓ ↓ ↓
関東7名城☆宇都宮城ヒストリー(2)沼尻の合戦(ぬまじりのかっせん)北条氏 vs 佐竹義重・宇都宮国綱連合軍が激突した戦いとは⁈
でも、そんな勢いあった北条氏が、なぜ滅んでしまったのでしょう?
それは、
過去の成功体験とプライドのせいで・・・
新しい時代の認識を、誤った。
理由はこれに尽きます、ハイ。
北条氏の有名な戦いと言えば、1546年、3代目北条氏康の時の「河越城の戦い」。
これは、毛利元就の「厳島合戦」、織田信長の「桶狭間の戦い」と並ぶ日本三大奇襲(夜戦)の一つと数えられます。
河越城を守る北条軍3千に対し 、
上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏3者連合軍 8万!!
【川越城本丸御殿】
どう考えても戦況は不利な状況、絶対絶命のピンチ!
しかし北条氏康は、まさかの夜襲を仕掛けて、
奇跡の大逆転勝利をしたのです!!
この「河越城の戦い」は、その後、北条家代々語り継がれたでしょうね~♪
そして、それがどこかで・・・
我が北条家は、どんな不利な状況でも、
負けるはずはない!と深層心理の中で、過信してしまったのでは?
秀吉による小田原征伐だって、大丈夫!
メークドラマ「河越城の戦い」の再現だ~!!
自分達は負けない!!神に守られているんだから!!
北条軍に負け、弱体化した上杉憲政は、越後の上杉謙信にヘルプを求めました。
そして上杉謙信率いる軍は、怒涛の勢いで関東の北条支配領域に侵攻し、追い込まれた北条氏康は、小田原城に籠城、
こうして始まったのが、1560年「小田原城の戦い」です。
【小田原城】
約10万もの大軍で包囲した上杉軍に対し、絶対絶命の危機の北条でしたが、奇跡的に1か月の籠城に耐え、
上杉謙信の撃退に成功したのです!
まぁちょうど、武田信玄が越後目指して北上していて、謙信様は、それが気がかりで退却したこともあり、タイミング的に超ラッキーでした♪
あの軍神!上杉謙信が10万もの軍で包囲しても、小田原城は落とせなかったんだぜ~!!
やっぱり我が北条家は、どんな不利な状況でも、
負けるはずはない!
って、4代目の氏政さんが、確信しちゃうのは仕方ないかもねー
こうやって、絶対絶命のピンチも見事に切り抜け・・・着々と勢力を拡大する北条家。
その経験から悲しいかな、新しい時代、
「秀吉の時代」という波に乗り遅れてしまった!
秀吉なんて、1582年に本能寺の変で信長が討たれるまでは、織田家の「一家臣」に過ぎなかったんだぜ~
⇒ 秀吉の力量を見誤まる
こっちは、徳川と伊達と同盟組んでるんだぜ~
⇒ 両者とも裏切って秀吉側に味方する
軍勢もそこまで多くはないだろう~
⇒ 20万もの大軍で攻撃される!北は九州の島津まで!全国の大名が集結!
現実は、戦上手で人たらしの秀吉は、もう織田の一家臣ではなく、
たった数年で、飛ぶ鳥を落とす勢いの「関白秀吉」になっていたのです!
当時すでに、日本中の戦国大名がひざまずく程に、権力が絶大だったのに・・・
北条は、完全に秀吉の力量を見誤ってしまったんですね。
プライド的にも、
現実を認めたくなかったのかな。
かくして、
秀吉率いる戦国オールスター20万に、3万の軍勢の北条は、3ヶ月の籠城の後降伏し、ここに100年の栄華を誇った北条氏は滅亡するのでした。
ドラマでは、家康が秀吉に対して、「北条をお助けくだされ!」と懇願するいい人みたいなシーンがありましたが、
そもそも、北条家を結果的に滅ぼした遠因は、家康様にあるんじゃないの?とアイコは思います。
だって、武田の滅亡後、旧武田領をめぐり上杉・徳川・北条が戦った「天正壬午の乱」の後、家康の戦後処理、領地分配が雑だったからこそ、火種を残し、それがトラブルの原因になったから💧
家康は、真田の力を借りて信濃を収めたにもかかわらず、勝手に北条を和睦を結び、北条に有利になるように、真田の許可なく、勝手に沼田領を北条にあげてしまった。
だから、ドラマでも真田昌幸は、怒ってましたよね。
(真田昌幸役の佐藤浩市さん、めちゃくちゃカッコイイー💖)
【真田昌幸/Wikipediaより】
もし家康様が、もっと丁寧に対応していれば、真田と北条が対立せずに、小田原合戦のトリガーになった「名胡桃城事件(なぐるみじょう じけん)」は、起きなかったでしょう。
【名胡桃城址】
名胡桃城事件は、ドラマでは描かれませんでしたが、
これが重要な事件!かつ面白いんですよ!
アイコは現地取材して、過去ブログに詳しく書いてます。是非ご覧くださいね♪
↓ ↓ ↓
戦国時代が終わるきっかけとなった城☆真田昌幸 築城の名胡桃城!この小さな山城が原因で5代続いた北条氏が滅亡へ!秀吉、家康、北条、真田を巻き込んだ名胡桃城事件とは(1)
【名胡桃城址/この先に沼田城があった】
一説には、北条家内部で、4代目の氏政さんは秀吉と対立姿勢だけど、5代目の氏直さんは早くから秀吉に臣従を唱えていたとか。お父さんの氏政さんの権力が強かったのでしょうか?
会社でも、保守派と革新派が対立したり、個人でも、過去を踏襲するのか、どうやって新しい時代に合わせていくのか?悩みますよね。
400年以上前の戦国時代、北条氏が直面した変化のスピード以上に、さらに猛スピードで変化する令和の今、上手く時代をキャッチして、幸せな未来を掴んでいきたいですね♪(^^)/
そうそう、
大河ドラマ「真田丸」では、籠城戦で精神的に追い詰められていく北条氏政を、高島政伸さんが迫真の演技で魅せてくれていますよ!おススメです♪
秋の夜長。
大河ドラマに小説に・・歴史を楽しもうと思うアイコです(*^^*)
ではまた!
季節の変わり目、体調に気を付けてくださいね!