
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
みなさん、こんにちは!アイコの部屋の時間です!
今回も、前回に引き続き、藤原不比等さんにお越しいただきました!
不比等さん、よろしくお願いします♪
【藤原不比等/Wikipediaより】
早速ですが、不比等さん、
前回の続き、大化の改新の『乙巳の変』の説明からお願い出来ますか?
あの~、なるべく簡単に説明お願いしますww
はい。
乙巳の変(いっしのへん)というのは、645年に、中大兄皇子と父・中臣鎌足が、権勢を振るっていた大豪族・蘇我氏を滅ぼしたクーデターです。
宮殿での儀式の際に、中大兄皇子らが、蘇我入鹿にきりかかったんです!
入鹿は、
『臣、罪を知らず!』
―いったい、私が何の罪を犯したというのか!―
と叫びましたが、容赦なく斬り殺されたそうです。
さらに翌日、入鹿の父親・蘇我蝦夷(そがのえみし)も自害に追い込み、蘇我氏の本宗家(嫡流の家系)も滅ぼしたのです!
イルカを斬殺したんですか?
ダメですよ!そんな事したら、動物愛護団体を敵に回しますよ!
だから~、そのイルカじゃないっつーの!!
その後、中大兄皇子と父は、体制を刷新し天皇に権力を集中させ、律令で統治する律令国家の建設のために政治改革を断行、初めての年号「大化」も定めました。
この政治改革を、大化の改新と呼びます。
ちなみに、乙巳の変の『乙巳』とは、その年の干支にちなんでつけられたんですよ。
当時の蘇我氏はね、大和政権で最大の実力者の蘇我馬子(そがの うまこ)、息子の蘇我蝦夷(そがの えみし)、その息子の蘇我入鹿(そがの いるか)、と代々権勢を引き継ぎ・・・
ぶっちゃけ、天皇をしのぐほどの権力をもっていたんです。
まぁ、まだ聖徳太子が生きている頃は、聖徳太子と蘇我氏は、共に推古天皇(日本最初の女性天皇)に仕え、共同で政治を行っていたので、蘇我氏が勝手な事は出来なかったのですが・・・
【推古天皇】
【聖徳太子】
622年に聖徳太子、続いて628年に推古天皇が亡くなると・・・
入鹿の暴走が止まらなくなりました。
【蘇我入鹿イメージ】
例えば、皇位継承者となった聖徳太子の息子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)の宮殿を襲い、一族を自害に追い込む、とんでもない事件を起こしたり。
代わりに、母親が蘇我氏出身の古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を、次期、天皇にするように強引に画策したりね。
イルカさん、名前に似合わず悪い奴なんですね。
もう、やりたい放題!
この暴挙に、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)と父の中臣鎌足が、
反発したんです。
だから、2人はタッグを組み、蘇我に反発する他の豪族の協力も得て、
「蘇我入鹿の暗殺」という計画を立て、実行したのです。
でもね、父たちが蘇我氏を滅ぼした理由は、唐の脅威もあったんです。
618年、中国には巨大な唐帝国が起こり、周辺諸国を圧迫し、東アジアの国際情勢はかなり緊迫していました。
唐の侵略から国を守るためには、唐に負けない強い国を作る必要があったのです。
だから父たちは、蘇我を滅ぼして、唐の律令制を手本とした『天皇を中心とする法律に基づく中央集権国家』建設を目指したんですよ。
もう一つの背景には、神道VS 仏教という対立もありました。
蘇我氏は、『異国の教えである仏教』を国内に広め、国を治めようと計画していました。
【仏教を崇拝する蘇我氏イメージ】
一方で天皇は、元々は、日本の神の子孫です。
そして中臣家は、元々、神に仕える神官の家の出身なのです。
ちなみに『中臣』という氏の由来は、「神と人の間に立ち、神の言葉を人に伝える」という意味なんですよ。使命感たっぷりの素敵な氏なんですよ。
だから、仏教推進派の蘇我氏が勢力拡大することは、中臣家としては、絶対に阻止しなくてはいけなかったんです。
【仏教推進派と廃仏派の対立】
なるほど~色々複雑だったんですね。難しそう。
はい。まあ色々大変でしたが、
父はこうやって中大兄皇子を補佐しながら、新しい国造りに邁進していったんです。
そして・・・
お~と、残念!またここでお時間きちゃいました~
不比等さん、続きはまた来週!
今いいところなのに(´;ω;`)
アイコさん、このままもうちょっとお話できませんか?
ごめんなさい、そろそろ大河ドラマの時間なんですよ♪
道長が観たいんです~
やっぱり藤原道長ってカッコイイですよね💖最高!!
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ではまた皆さん!
また来週もお楽しみに(*^^*)