プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは☆ 今日も一緒に熱く戦国しましょう~!
今回のアイコの部屋も、素敵なビーチからお届けします✨
本日のゲストは前回に引き続き、絶世の美女✨細川ガラシャさんです!
ガラシャさん、今日はいよいよ、最期の様子をお聞かせください。
はい、よろしくお願いします。
アイコ:早速ですが、1600年7月、旦那様の忠興さんは、徳川家康に従って会津の上杉征伐に行きましたね。
その隙に、大阪では石田三成さんが挙兵し、多くの豊臣恩顧の大名を西軍(石田側)に味方させるため、その奥様たちを人質に取る!という作戦に出ました。
その一番最初のターゲットになったのが・・・ガラシャさんだったと聞いています。
実際に石田さんは、どんな風に人質の要求をしてきたんですか?
ガラシャ:7月の初めに、三成が “ 大名の奥方を人質を取ろうと企てている ” という噂が入ってきたんです。
その後しばらくして三成は、細川屋敷へ使者を寄こし、私を人質にしたいと要求してきました。
でも、当然私はその要求を断りました。
確かにイヤですよね、人質なんて。でも、断ったらどうなったんですか?
三成は、翌日には屋敷を兵で囲み、武力行使に出たんです。
アイコ:石田さん、コワっ~!でも、石田さんも必死だったんでしょうね。
これはまさに関ヶ原の前哨戦。誰を味方に取り込めるか!それこそが戦の勝敗を左右する重要なカギ!
特に細川家は、豊臣家臣の中でも影響力があり、石田さん、何としても味方になって欲しかったんでしょう。
そのために、ガラシャさんを人質に。
で・・・ガラシャさんはどう対応したんですか?
ガラシャ:私は、自害を選びました。
アイコ:え~~!? そんなすんなりと? 何で?
取り巻きの人たちが武力で抵抗するとか、やっぱり降伏して人質になるとか、逃げようとか考えなかったんですか?
ガラシャ:考えません。私には、死、以外の選択肢はありませんでした。
常々、夫は、戦で屋敷を離れる際、
「もし自分の不在の折、妻の名誉に危険が生じたならば、まず妻を殺し全員切腹して妻とともに死ぬように。」
と家臣に命じていましたからね。それに従ったまでです。
エグい命令ですね💦
愛する人の『名誉』に危険が生じたら、その愛する人を殺せ!って、意味わかんない。
忠興さんのヤンデレぶり、半端ないな~
でも、ちょっと待ってください~。
『夫の命令に従った』っておっしゃいましたが・・・すみません、ガラシャさんって、夫の命令に素直に従うような従順な奥さまキャラでしたっけ?
以前、生首を目の前に置かれでも無視したり、秀吉様がバテレン追放令を出しキリシタン弾圧に向けて動いている時でも、かまわずに洗礼をうけたり。
忠興さん、秀吉様に見つかったらお家を潰される!って、相当怒ってガラシャさんに棄教を命じたけど、頑として聞かなかったじゃないですか💧
だからガラシャさんって、夫に歯向かう、相当意思の強い奥さまイメージなんですが。
なのに、なんで急に、すんなり命令を聞くシオらしいキャラになっちゃったんですか? 💧
ガラシャ:確かに、夫に歯向かってきた強気な女ですよね(笑)
ただ、これでも夫には感謝しているんですよ。
父が本能寺の変で謀反を起こした時、夫は私を離縁せずに、遠くの山奥に幽閉しました。
あの対応は、夫の最大限の私への愛だったんだと思います。
つらく先の見えないドン底の日々でしたが、キリスト教に出会い・・生きる希望を見いだせた。
洗礼を受けた時も、当初は怒り狂い側室を持つなど、私に対して辛く当たるようになったけど、
それでも、キリシタンとしての私を黙認してくれたからこそ、信仰に励むことができました。
私は信仰に励む日々を通して、激しかった気性が穏やな性格に変わったんですよ。
夫の命令は細川家としての方針なんです。
細川家の嫁(正室)として、そして私自身の尊厳を守るためにも、人質となって辱めを受けることはあり得なかった。
もし人質で生き延びたとしても、それは私にとっては『死』と同じこと。
だから、自分から進んで自害の道を選びました。
アイコ:でもまだ38歳ですよ。後悔はなかったんですか? お子さんのことは?
辱めを受けても、生きてさえいればいつかお子さんにも会えるし、命あってこそじゃないでしょうか!
ガラシャ:アイコさん、現代のあなたとは価値観が全く違うようですねえ。
戦国時代では、名誉や尊厳を第一に重んじます。
『恥をかいて生きるくらいなら、潔く散るのが美徳』という信念なんですよ。今でも、自分が死を選んだことは後悔しておりません。
ガラシャさん、最期は、どんな風に自害されたんですか?
自害といっても・・・キリスト教では自殺が禁じられているんです。
ですので、家老の小笠原小斎に命じて、私の介錯をさせたですよ。
実は、三成が人質作戦を取るという噂を聞いた時点で、私は覚悟は決めていたんです。
ただ、キリスト教では自害が許されないのでどうしようかと思い、大阪に潜伏中のオルガンティノ神父に相談しました。
オルガンティノ神父に相談し、私の心は解放された気分になりましたよ。
安心して自害する決心をし、自害当日は、心穏やかに平和な気持ちで礼拝堂で祈りをささげておりました。
そして三成側が屋敷を囲み、武力で私を捕えようとしたので、小斎を部屋に呼び介錯を命じました。
私は首を落としやすくするため、キリキリと髪を巻き上げ、うなじをあげたんですが・・・
小斎は、首を落とすやり方は無理だと言うのです。
彼は夫の命令で、私の部屋に入ることは禁止されていましたからね。 首を落とすためには、私の部屋に入って背後に回らなくてはいけないので、それは無理だと。
こんな時でさえ、忠興さんを怖がって命令を守るなんて。
めんどくさっ💦
ガラシャ:結局、首ではなく胸にしました。部屋に入れない小斎のために私が少し近づいて・・・。
離れたところから長刀で、一気に私の胸をグサっ!!!と突かせました。
その後小斎は、私の遺体が敵の目にさらされないよう、あらかじめ屋敷に仕掛けておいた爆薬に火を点けて、自分も自害し、私の遺体は屋敷ともども、大量の爆薬の爆発と共に吹き飛んでしまったそうですよ。
なんか壮絶ですね・・・(泣)
爆薬ってやり過ぎじゃないですか。
西部警察ですか。
ではガラシャさん、最後に、辞世の句を教えてください。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
人であれ花であれ、散るその時をわきまえてこそ美しい、そうゆう意味です。
アイコ:こんなに美人なのに、辞世の句はホント男前でカッコイイですね~~。
人質になるのではなく、名誉の死を選んだガラシャさん。
まさに「散りぬべき 時知りてこそ」の美しく気高い人生だったんですね。
ガラシャさん、今日はお越しいただき、本当に有難うございました!
ガラシャさんの壮絶な最期を聞いた夫の忠興さんは、『石田三成!絶対ゆるさん!!』と猛烈に恨んで、
関ヶ原の戦いでは、石田本隊に突っ込み、136もの首をあげ東軍の勝利に貢献したそうですよ。
ってか、
名誉をケガされたら死ね!って、
あんたが、そこまで束縛しなかったら、他の奥方のように逃げていたのに!!
自分で死に追い込んでおいて、逆ギレって。
本当にこの人、大丈夫ですか・・・・。
翌年の1601年、忠興さんは、 オルガンティノ神父に依頼し、ガラシャさんの一周忌をキリスト教会で行いました。
忠興さんと家臣1000名以上が参列し、忠興さんは人目もはばからず号泣したそうですよ。
ヤンデレ、異常な束縛、不器用な愛。でも・・・ガラシャさんが本当に大好きだったんでしょうね。
一方、ガラシャさんの壮絶な死に驚いた石田さん。
またしくじっちゃいましたね~。
武功派の武将を怒らせただけでなく、石田さん自身の評判を落とすきっかけになってしまった(泣)
石田さんはこれ以降、むやみに大名の妻子を人質にとる行動は控えたそうです。
ガラシャさんの死は、関ヶ原の戦いで東軍(家康側)勝利に、間接的に影響を与えたってことですね。
さて関ヶ原の決戦は、9月15日(1600年)!!
武将の皆さん、どっちにつくのか?どう戦うのか!?動きが激しくなっていきますねーー。
ではでは、また次回お楽しみに 💖