プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは☆ みんな元気に戦国してますかー? 今日は、森の中のテラスからお届けします♪
今回のゲストは、芸能界のご意見番!!じゃなかった、戦国界のご意見番!!
あの豊臣秀吉公のご正室、北政所(きたのまんどころ)様です。
実家の浅野家は武士の家柄にもかかわらず、農民出身の秀吉公と、周りの反対を押し切り14歳で恋愛結婚💖
『格差婚』かと思いきや、秀吉公は、日本史上類を見ない出世を遂げ天下人となりました。
北政所様の男性を見る目、そして夫への内助の功、アゲマンぶりは世の女性たちの憧れです!
そんな北政所様に、今日は、迫る関ヶ原の戦いに向けて、色々お聞きしたいと思いまーす♪
北政所様、お会い出来て光栄です!
わぁ~~、迫力、オーラがすごいっ!
初めましてアイコさん、今日は楽しみにしてましたよ。
アイコ:早速ですが9月15日は、いよいよ関ヶ原の戦いです。石田三成さん、徳川家康さんを始め武将の皆さん、色々と動きが激しくなっていますね。
北政所:そうですね。1598年にお館様(おやかたさま ※秀吉公のこと)が亡くなって、早2年。
あれから水面下で、みんな動き始めていましたよ。いよいよその決着がつくんでしょう。
アイコ:北政所様は、どちらの味方ですか?
秀吉公のご正室だから・・・、豊臣家の天下を守る!と宣言している石田さん側ですか?
北政所:私は、徳川殿の味方です。
えっ? 家康さん側 ⁉
やっぱり・・・。
石田さんが推してるのは、秀吉公の側室の淀殿と子供の秀頼様だから、
『愛人の子供の味方なんて出来るか!』ってことですか。
アイコさんもハッキリ言うわね~ww
でもわたくしは、あの豊臣秀吉の正室、そんな心の狭い女ではございませんよ。
確かに、側室は15人ほどいたし、遊びを入れたら数えきれない人数で、あの女狂いにはホント悩まされたわ!
でも私は豊臣家の繁栄のため、お館様を支え、二人三脚で豊臣家の繁栄に尽力してきました。
お館様は亡くなる時に、私に『秀頼を頼む』と懇願してきたんですよ。
ですから亡くなった後は、私が秀頼の後見人として、秀頼の世話をする役割を負いました。
ただ・・・次の時代の実力者は徳川殿ですね。これは間違いない。
徳川殿も私に対して敬意を払い、 豊臣家は存続させると約束してくれました。
豊臣家の衰退を防ぐためにも徳川殿に従う、これしか道はないわね。
だって、あの方を敵に回したら、豊臣家は潰されてしまいますもの。
アイコ:そうでしたか。ちなみに、淀殿はどちらに味方するんですかね?
北政所:淀殿は、表面的には中立の立場のようね。
ただ、同じ近江の出身で、豊臣家の天下を守る!と主張している三成側に気持ちが傾いてるんじゃないかしら。
あの~、石田さんと淀殿の話が出たところで、思い切って質問ですが・・・
石田さんと淀殿って、デキてたんでしょうか⁉
実は秀頼さん、石田さんの子供じゃないかって噂があるんですが!
まぁ! そんな噂があるのね~! 誰がそんな事言ってるの?
アイコ:ちょっと言いずらいんですが、
秀吉様と北政所様の間にもお子さんいらっしゃらないし、沢山の側室との間にも子供がいないですよね💦
でも・・・何で、淀殿との間にだけ子供が出来たのかなぁと?
父親は秀吉様なのか、世の中みんなが疑っているんですよね。
北政所:疑われるのも仕方ないわね。
秀頼の時、お館様は56歳。淀殿は確か24歳だった。あっ、ちなみに私は45歳ね。
お腹の子は、ホントにお館様の子供⁉って、当時も噂が絶えなかったわ。
アイコ:やっぱり父親は、三成さん?
北政所:いいえ、三成ではないわ。三成は性格上、恩義あるお館様の側室に手を出すような男じゃない。
それに何より、秀頼の誕生日は文禄2年(1593年)8月でしょ。
逆算すると淀殿が秀頼を身ごもったのは、文禄元年(1592年)11月。
三成は、文禄元年6月には朝鮮に渡り、11月頃は、文禄の役(朝鮮出兵)の真っ最中だから・・・
計算上、父親になることは無理ね。
( ってか、しっかり計算してるし💦 しかも早っ! )
そうでしたか。私、石田さん好きなのでホッとしました。
あと秀頼様の父親として噂なのが大野治長さんですが・・・・
北政所:アイコさんも芸能記者みたいね、笑。
確かに大野治長なんか、怪しいわね。治長の母は大蔵卿局(おおくらのつぼね)で、淀殿の乳母でもあった人よ。
治長と淀殿は乳兄弟になるし、治長は淀殿の側近として何かと支えていたしね。
まぁ、こればっかりは当人同士にしかわからないわよ~~~ホホホっ!歴史のミステリーね!
ただ・・・お館様は勘が鋭い人だから、父親が自分じゃないことぐらい知っていたと思うわ。
でも、何といっても淀殿は、お市の方様(信長の妹)の長女で、正当な織田の血を引いている。
淀殿が産んだ子を、自分が父親だと認めさえすれば、織田の血を継ぐ子が豊臣家の跡継ぎになるのよ。そうなれば、きっと全国の大名はひれ伏し、自分の死後も豊臣家は安泰となると考えたんじゃないかしら。
淀殿は、世継ぎを産むことで、ただの側室から豊臣家の世継ぎ “ 秀頼 ” の母という確固たる地位を得られる、
お館様も織田の血を引く子を跡継ぎにできる。って、お互いウィンウィンだったんじゃないの?
アイコ:ちなみに、秀頼様のお顔って、秀吉公に似てたんですか?
北政所:いい質問ね! 実は成長した秀頼は197cm、161kgもあったの!
淀殿は168㎝で背が高かったけど、お館様は140cmくらいだったから・・・、
ほんとミステリーよね!ホホホっ!
淀殿ってね、20歳頃に豊臣家に来る前、けっこう壮絶な経験してるのよ。
また壮絶話ですか。。戦国の姫たちは、みなさんハードですね💧
北政所:1573年、姉川の戦いに続く小谷城の戦いではね、ウチのお館様の活躍で、織田軍は淀殿の父親の浅井長政を攻め、自害に追い込んだの。
母親の “ お市の方様 ”は、信長様の妹だったのよ。だから、信長様は、お市の方様と茶々(淀殿)、初、江の浅井三姉妹を保護して、三姉妹はその後9年間、信長様のもとで穏やかに暮らしたそうよ。
でも今度は1582年に、あの本能寺の変が起きてしまったのよ!
兄の信長様を失ったお市の方様は、柴田勝家と再婚してね。
淀殿たちも新しい父親が出来て、しばらく平穏な日が続くと思ったら・・・
わずか1年もたたないうちに、柴田勝家がお館様に対して挙兵してきたの!
賤ケ岳の戦いでは、お館様が勝ったから、負けた勝家は北ノ庄城で妻のお市の方様と自害して、城は火が放たれ、お城は全焼よ~
お市の方様は、死ぬ間際にお館様に手紙をよこしたわ。
『自分は死にゆくが、3人の娘の身は保証して欲しい。』って。だから親方様は、三姉妹を保護して引き取って、
長女の淀殿を側室にしたって、そうゆう訳なのよ。
ちょっと待ってください~~。ついて行けないんですが。
淀殿は、実の父親に続いて母親と新しい父親までも殺された。
まさに秀吉公は親の仇!!
なのに、その秀吉公の側室になり子供を産んだ。ってこと?
超ドMの世界💧💧
戦国の世を生き抜くためなのよ、アイコさん!
まっ、『令和』とかいう平和な時代に暮らすあなたには、全く理解できないでしょうねぇ。
そんな悲惨な経験をしたからこそ、今度こそは自分の身の安泰のため、どんな手を使っても、世継ぎを生んで権力を手に入れたかったんでしょう。
正直私だって、淀殿のご懐妊にはもちろんいい気はしなかったのよ。
でも・・・お館様は、神経質なくらい正室の私に気を使ってきたし、立場上ど~んと構えて認めてあげたわ。
淀殿もねえ、お世継ぎの母だという権力に固執して、プライドばかり高くて、時世が読めない子なのよね。
時代は間違いなく徳川殿に向かうのに。
豊臣秀頼こそが、天下人だ!ってことにこだわり過ぎて、徳川殿を敵に回さなきゃいいけど・・・。
本当ですね!
今後、淀殿がどう動くかに、豊臣家の命運がかかっているかもしれません!
北政所様、今日は貴重なお話有難うございました。
いやーー、北政所様、さすが戦国時代のご意見番!芸能界で言うと和田アキコさんってところでしょうか。
関ヶ原の戦いに向けて、他にも色々聞きたかったんですが、淀殿の話になったらスイッチ入っちゃった、笑。
でも北政所様!うわさ通り、陽気で明るくてさっぱりとした性格の方でした。
懐が深いし、頭が良くて先見の明があるなーー。
では、また次回をお楽しみに✨