戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

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  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

もう一つの関ヶ原⭐勝利した徳川家康から沢山ご褒美をもらった武将は誰?石高アップランキング

2021/09/15

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こんにちは!戦国LOVE💖の戦国アイコです。
今日9月15日は、あの関ヶ原の戦いが起きた日でーす! ※慶長5年(1600年)9月15日

石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍は、各地で前哨戦を行い、ついに “ 最終決戦の日 ” を迎えたのでした!

東西総勢約15万の兵力が、関ケ原に一堂に会した未曽有の大合戦!!
男たちが命をかけて繰り広げた壮絶な戦い・・・って想像するだけで胸が熱くなるよー

この天下を分けた関ヶ原の戦い、わずか一日で戦闘が終了し、東軍の勝利で終わりました。

結果、西軍の中心人物 石田三成らは処刑または流刑。石田さん~~!!😭
西軍に味方した大名、約80家は領地を減らされたり没収となりました。

そして家康は、そこで得た600万石の領地・石高を好きなように再配分し東軍の大名の褒美に充てたのです。

ということで今回は・・・
徳川家康による人事査定!家康は誰をどう評価したのか?石高加増ランキング☆をお届けします。

東軍☆石高加増ランキング

💖第1位 58万石アップ/結城 秀康(当時27歳)

こちら徳川家康の次男さんです。下総結城城主10万石から越前北庄68万石へ。

結城秀康像(舜国洞授賛、子孫所蔵)

父、家康の上杉征伐に参陣。石田三成の挙兵を受け、家康らが反転して江戸に向かうと宇都宮に残り、伊達政宗とともに上杉勢をけん制する重要な役割を担いました。
ちなみに、性格はとっても義理堅い誠実な人で、アイコは好感持ってますww

💖第2位 42万石アップ/松平 忠吉(21歳)

家康の四男さん。 武蔵忍城主10万石 から尾張清州52万石へ。
父、家康の上杉征伐に参陣。妻の父 井伊直政と行動を共にし、福島正則と先陣を争い、島津豊久を討ち取るなどの功績をあげました。

💖同2位 42万石アップ/蒲生 秀行(17歳)

家康の娘婿(妻は家康の三女 )下野宇都宮城主18万石 から会津60万石へ。
上杉征伐に参陣。居城宇都宮城に徳川秀忠を迎え入れる。宇都宮城で上杉勢をけん制しました。

やはり信頼のおける息子、義理の息子が加増率トップですね!わかりやすい!!
家康様も、やっぱり人の子、身内が可愛いんですね。

💖第3位 37万石アップ/前田利長(38歳)

父 前田利家の死後 豊臣政権 五大老の地位に就く。加賀金沢城83万石 ⇒ 加賀・越中・能登120万石へ

前田利長

💖同3位 37万石アップ/池田輝政(37歳)

家康の娘婿(妻は家康の娘 )三河吉田城主15万石 から播磨姫路52万石へ。
この方は、父親の代から織田、豊臣、徳川と上手く渡り歩きましたね。関ヶ原の前哨戦、岐阜城攻めで活躍!

池田輝政肖像

💖第4位 34万石アップ/黒田長政(32歳)

妻は家康の養女。 豊前中津城主18万石 から筑前国名島52万石へ。

この人、豊臣恩顧の大名で、
最初の妻は、蜂須賀正勝の娘だったのに、わざわざ離婚してまで家康の栄姫を妻にしたのよ💧
何としても家康の親戚になって気に入られたい。なんか、必死さが伝わってくるよね。


こうゆう計算高いとこが、家臣で漢気ある後藤又兵衛とは合わなかったのかなー?

福島正則や、吉川広家、小早川秀秋を東軍側に引き入れた調略は、関ヶ原の戦い随一の手柄と言われ、家康から高い評価を受けたんだって。

💖第5位 33万石アップ/加藤清正(39歳)

妻は家康の養女。 肥後熊本城主19万石 から肥後52万石へ。
石田三成と対立した豊臣恩顧の大名。九州戦線で、東軍の中心として戦い加増を得ました。

清正公/浄池院殿永運日乗大居士肖像

💖第6位 25万石アップ/福島 正則(40歳)

養子・正之の妻が家康の養女。
尾張清州城主24万石 から安芸広島49万石へ                                  

福島正則肖像画 / 東京国立博物館蔵

福島正則肖像画 / 東京国立博物館蔵

福島さんやったね!
例の小山評定では、いち早く家康の味方につくことを誓いましたもんね。

関ヶ原本戦では、宇喜多秀家を相手に奮戦しました!

こう見ると、大幅に石高アップしたのは、ほとんど身内や姻戚の大名ですね。
その他、多くの大名の加増により徳川の譜代大名が増え、徳川幕府が260年続く盤石な基盤が出来ていくのです。

ランキングはこれくらいにして・・・
他にも、アイコが注目する評価された武将たちを紹介するよ。

本戦での活躍なし!だけど大幅加増の山内一豊

山内一豊、って覚えてますか?
そう!あの小山評定で、福島正則さんの後に続いて発言し、『家康殿に掛川城をお渡しします!』と言った人です。

この方、本戦での活躍は無かったけど、
遠江掛川城主6万8000石から土佐浦戸20万2000石へと、14万石も加増されました。

その理由は・・・小山評定で『 居城を提供する 』と言って家康を喜ばせたから。以上。

ちなみに一豊さんは、この時55歳。決して若くはありません。
しかし諦めずに、一発逆転の一言で、飛躍しました!


大きな武功はなくても『上司が喜ぶ 耳障りのいい一言で人生は好転する』
というサクセスストーリーを見せてくれましたね
✨✨

東軍に寝返って勝利を決定づけた!小早川秀秋

当時18歳の小早川秀秋。

豊臣恩顧で西軍の主力でしたが、早い段階で家康側から調略され、東軍への寝返りを約束していました。
寝返りと言えば、この人。まさに、裏切りの代名詞⁉

小早川秀秋隊の兵は1万5000。
関ヶ原開戦後に東軍に寝返り、この秀秋の裏切りによってそれまで優勢だった西軍の陣が崩れ・・・
これをきっかけに、戦闘に参加せず形成をうかがっていた脇坂泰治、朽木元綱、小川佑忠らも裏切り、大谷吉継隊に襲いかかりました。

大谷吉継は、ついに敗れて自害。
この小早川隊の進撃に、西軍では逃亡する将兵が続出し、西軍は結果的に大敗北となったのです。

小早川秀秋の裏切りが関ヶ原の勝敗のキーポイントと言われています

この裏切り劇場、家康様からは高く評価され、
筑前名島城主35万7000石 から、岡山55万石へ20万石も加増となったのでした。

いやぁ~味方だと思ってたら、横から攻撃されるし💧
そりゃ西軍パニック!総崩れだよ
💧

関ヶ原 その後の武将たち

今回は、関ヶ原の戦いに勝利した東軍の査定のお話でした。
いつの時代も、評価するのは人間。そこには必ず私情や私感がついて回るものですよね。

ただ・・・
家康様の高い評価で加増されたから、その後の人生安泰で幸せか⁉ といえば、
そうとは言い切れないみたい。

小早川秀秋は2年後、アルコール依存症による内臓疾患のため21歳で死去。

結城秀康と松平忠吉は7年後、病で死去(結城秀康 享年34歳、松平忠吉 享年28歳)
家康様は、ほぼ同時に息子2人を失くしてしまいました。

加藤清正は10年後病?毒殺?のため49歳で死去。

福島正則の福島家は、御家断絶。

一方、敗軍の宇喜多秀家は、八丈島に島流しになりましたが、
温暖な気候と健康的な食生活が幸いし、あれから半世紀(56年)も生き、何と84歳まで長生きしました。

※江戸幕府4代将軍・家綱(家康のひ孫)の時代まで。

勝者東軍の武将がほとんど死に絶えた中、敗者西軍の宇喜多秀家が、最後の最後まで生き抜き、戦国乱世の終焉を見届けたなんて、皮肉なものですよね。

さて次回は、アイコの部屋です✨

次回お招きしたいのはやっぱりこの人・・・小早川秀秋さん!

石田さん、あなたに期待してたのに! 何で裏切ったんですか?
あなたさえ石田さんの味方でいてくれたら、西軍は負けなかったのに・・・


って、石田派アイコの恨みもこめて、色々聞きたい。笑笑

じゃあ、また来週ね💖

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