戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

  • 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
  • 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
  • モットー:ほどよく頑張る。
  • 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

アイコの部屋💖第6回目ゲストは 関ヶ原の戦い☆裏切りの代名詞⁉小早川秀秋さん(1)

2021/09/22

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皆さんこんにちは⭐アイコの部屋の時間です💖

本日のゲストは、あの関ヶ原の戦いで西軍を裏切り、東軍の勝利を決定づけた!小早川秀秋さんです!

小早川さん ようこそアイコの部屋へお越しくださいました!
スゴくお会いしたかったですよ~~~!色んな意味で。

光栄です。お手柔らかによろしくお願いします。

アイコ:先日の関ヶ原の戦い、大変お疲れ様でした。小早川さんの裏切りのおかげで東軍は勝利!
東軍からは『ナイス裏切り!』『関ヶ原のMVP!』って大絶賛されてますね。

秀秋さん:裏切り、裏切りって言わないでください。
それでなくても、勝った東軍のメンバーからも『裏切りの小早川』って陰口叩かれて、結構傷ついてるんですよ。

私だって、好き好んで裏切った訳じゃなく、むしろ裏切られた側なんです。
私の話を聞いてもらえたら、何で東軍についたのかがお分かりになります。泣・・・💦

アイコ:小早川さん泣かないでください。きっとツラい過去があったんですね。

ん?? 過去と言えば失礼なんですが・・・
小早川さんって歴史上『関ヶ原で西軍を裏切り、東軍を勝利させた』ことだけが有名で、イマイチどんな人なのか、
私ピンとこないんですよねw

なので今日は、生い立ちや経歴などもお聞きしながら、どうして東軍に寝返ることになったのか?にせまっていきたいと思いまーす。

だから~あんまり裏切ったとか、寝返ったとか言わないでください。
僕にもイメージってものがあるので、後世に残っちゃうじゃないですか!!

アイコ:失礼しました!
では・・・まずお聞きしたいんですが、小早川さんって、秀吉公のご親戚なんですか?

秀秋さん 豊臣家跡継ぎ候補の幼少時代

秀秋さん:はい。私は、秀吉公の妻ねね様の兄、木下定家の五男です。
1582年(※イチゴパンツの年)あの本能寺の変が起きた年に、長浜で生まれました。

1585年、3歳のとき、子供のいない ねね様に養子として引き取られ養育されました。
だから秀吉公は私の養父になるんです。

秀吉公もねね様も、私の事を大切にとても可愛がってくれました。ねね様は本当に良いお方でした。

1589年、7歳の時、秀吉公の後継者候補として元服させられ、丹波亀山城(京都府)に10万石の領地を与えられ、
10才の時には中納言という高い官位に叙任されました。

アイコ:7歳で元服? 早くないですか? 元服って普通12歳~16歳くらいの間ですよね。

秀秋さん:当時、秀吉公は52歳でしたからね。
早く私を1人前の大人扱いにし、廻りの大名達にも、豊臣の後継は安泰だと知らしめたかったんでしょう。

でも7歳っていうと・・・今でいう小学1年生ですね。
この年で成人扱いされて、城主になって10万石って・・・
秀吉様の 大きな期待を感じますね。

秀秋さん:当時、一番キツかったのは、諸大名からの毎晩の接待ですね。
私は、もう一人の養子の豊臣秀次に次ぐ、豊臣家の継承権保持者とみられていました。

だから、私に取り入ろうとする全国の大名から接待攻勢を受けて・・・
7歳の元服と同時に、毎晩お酒を飲み続けることになったんですよ。


7歳から毎晩お酒ですか!
普通7歳が飲むものって言ったら、ヤクルトってところですが、その歳で日本酒ですか?

その時代ノンアルないですもんね。ホンモノのお酒かぁ。
なんかツラい子供時代ですね。

秀秋さん:ちなみに、もう一人の養子の豊臣秀次は、秀吉公の姉の長男です。

秀次さんは1568年生まれですから、私より14歳年上で、秀吉公から、関白という朝廷における最も高い地位を実際に引き継いでいました。

豊臣秀次像/瑞泉寺蔵

まぁこの時期までは、後継者候補としてのプレッシャーは大きかったけど、チヤホヤされて幸せな人生でした。

でも1593年に、コイツ!この秀頼が生まれたことで、この幸せな生活は一変してしまったんです!

秀秋さん 豊臣跡継ぎ候補から小早川家の養子へ

秀秋さん:秀頼が誕生したことで、私は後継者候補とみなされなくなりました。
すると・・・今まで私に接待攻撃していた大名達は、潮が引くように去っていきましたよ。

もう、私に取り入るメリットは無いと悟ったんでしょうね。大人って、ホントに露骨ですね。

ただ、私はすでに酒がやめられない体になっていて、毎晩の酒盛りは続けていたんです。
だから、12歳にしてアルコール依存症になってしまったのです。

1594年、秀吉公の命令で、私は中国地方の大名 小早川隆景(こばやかわたかかげ) へ養子に出されました。
まぁ、秀頼が生まれたことで、豊臣にとって私は不要になったてことです。泣

秀吉様、分かりやすぅ~。

豊臣家の後継者候補から一転、手のひら返し。キッついわ。
それにしても、数ある大名の中から、何で小早川家が選ばれたんですかね?

五大老の毛利輝元には子が無かったから、私を養子に出すのに丁度良かったみたいです。

ただ、輝元の叔父である小早川隆景は、豊臣一族に毛利家を乗っ取られることを嫌って、
私を毛利本家の輝元のところでなく、分家である小早川家の養子にしたと聞きました。

一時は後継者候補だとチヤホヤされた豊臣家から放り出され、毛利家の分家の小早川家に養子に出されるなんて。
秀吉公には捨てられ、しかも毛利・小早川家からも歓迎されていない。

これって裏切りですよ!裏切られたのは、むしろ僕の方なんですけど!!
アイコさん、どう思います⁉

ホント、お酒飲まないとやってられませんよ!

秀秋さん 豊臣秀次の切腹について語る

さらに、秀秋さんが、お酒に依存したくなるような事件が続きますね。
1595年、突然、関白の豊臣秀次さんに謀反の疑いが持ち上がったとか?

秀秋:そうなんです。
私が小早川家の養子となった翌年、突如もう一人の養子、秀次さんに謀反の疑いがかけられ、秀次さんは関白の地位を剥奪され、高野山に送られました。

そして間もなく秀吉公の命令で自害を命じられ、抹殺されてしまったのです。

処罰は秀次さんだけにとどまらず、その妻子や主だった家臣たちまでもが処刑されました。その数は何と39人!
さらにその居城や屋敷など、そのすべてが破壊されました。

いくら邪魔になったからって親戚ですよ。
そこまでやるか普通⁉ コワっ!

じゃぁ、次は私なの?って事になりますよね当然。背筋が凍りましたよ。

そう思って警戒してたら、私にもいわれのない謀反の疑いがかけられたんです。
やっぱり、そうきたか~って思いました。

濡れ衣ですよ!全くの濡れ衣!誰の差し金なんだろう?
淀か? 三成かぁ?

命は取られずよかったけど、私の領地の丹波亀山領10万石を没収されて・・・

でもその同じ年、養父の小早川隆景が助けてくれたんです。
隆景は隠居し、その所領・筑前(福岡県)30万石を私が相続する形でに譲ってくれました。

結局、有難いことに義父、隆景のおかげで、私はより大きな領地を預かる大名になれたので、
隆景には本当に感謝しています。

でも、秀吉公の私に対する仕打ちは酷すぎます!

私が不要になったら家から出され、無実の罪で領地を没収され、って続けざまにこれでもかって。

幼いころはあんなに可愛がってくれたのに、人ってここまで手のひら返し出来るものですか?
もう人は信じられません!

イチャモンつけられ罰せられ領地を減らされ・・・
またまた秀秋さんは、秀吉様の横暴なやり方に振り回されちゃいましたね。

秀頼の為なら何でもあり!秀吉様の秀頼びいきもやりすぎ~

ということでアイコの部屋・・・今日はお時間が来てしまいました~。
秀秋さん、語りたい事が沢山あるようで長くなっちゃいましたね、笑。

来週も引き続き、小早川秀秋さんにお話しを伺います☆
次回は、秀秋さんが頑張ったのに報われなかった・・・朝鮮出兵のお話です

じゃあまた来週、おたのしみに💖

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