戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな20代独身会社員

  • 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
  • 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
  • モットー:ほどよく頑張る。
  • 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

アイコの部屋💖第7回目ゲストは 関ヶ原の戦い☆裏切りの代名詞⁉小早川秀秋さん(2)

2021/09/30

皆さんこんにちは⭐アイコの部屋の時間です💖
今日も前回に引き続き、小早川秀秋さんにお越しいただきました。

小早川さん、よろしくお願いします!

はい、よろしくお願いします。
前回こちらに出演したお陰で、私を裏切り者だと嫌ってた方々から、
「なんて可哀そう」「そんな理由があったんですね」と言ってもらい誤解がとけたようです。


今まで「裏切り者」のレッテルを貼られ、全人格を否定されてきましたが、おかげでかなりのイメージアップです。

それは良かった!
アイコの部屋が、お役に立って嬉しい!

小早川秀秋さん 慶長の役について語る

アイコ:さて小早川さんは、『慶長の役』と呼ばれる朝鮮出兵で活躍されたと聞きました。
これはどんな戦いだったんですか?

秀秋さん:これは、文禄元年(1592年)から慶長3年(1598年)にかけて、太閤殿下が明の征服をめざして朝鮮に侵略した戦争なのです。

ちなみに、この戦で日本の唐辛子が朝鮮に渡って、それが今のキムチに繋がってるんですよ。
この戦いがなかったら、キムチもなかったかもしれませんね、笑。

アイコ:へえ~~ ×10!!
それにしても、秀吉様は天下を統一したのに、何でさらに海外にまで戦争をしかけたんですかね?

秀秋さん:色々言われてますが、天下統一後は、諸大名間の勝手な争いを禁じたこともあり、諸大名の領地は確定してしまいました。国内にはこれ以上分け与える領地がなくなってしまったから、領地獲得のためでしょうね。

慶長2年(1597年)2月、当時16歳の私は太閤殿下の命をうけ、全日本軍の総大将として、
黒田官兵衛を補佐役につけ、諸将42人、16万千の兵を引き連れて朝鮮へ渡海しました。

いきなり初陣が海外デビューって!本当ドキドキでしたよ~
あのBTSでさえも、いきなり海外デビューなんかしてないですからね!

確かに!
BTSに比べ秀秋さん、初陣でいきなり海外、それも16万の日本軍の総大将!!
スゴぎる~!

小早川家に養子に出されたといっても、そこは天下の秀吉様の元養子。
いきなりそんな重大な戦でトップを任されるなんて!小姓あがりの他の大名さんたちとは、やっぱり格が違うな~

いや~こんな大役任されて、半端ないプレッシャーでした。

結構、私って戦い得意なイメージないでしょう?そんな僕でもめちゃくちゃ頑張りましたよ!

今度こそ太閤殿下にアピールするチャンスだぞって!!
絶対に褒めてもらいたくて、武功を挙げようと、そりゃ~頑張りましたよ!

特に頑張ったのは、その年12月~1月に起きた、蔚山(ウルサン)城の戦いです。
そこでは加藤清正率いる日本軍2千が、敵軍6万に包囲され危機的状況でした。

蔚山籠城図屏風(断片) - 福岡市立博物館所蔵

そんな危機的状況の中、総大将の私は自ら兵を率いて、勇猛果敢に包囲網に突撃して奮戦したんです!
そこで私は13もの首もあげて、無事に加藤清正を救出しましたよ!
自分で言うのも何なんですが・・・私ってスゴくないですか??


俺って、やれば出来る~って、自信になりました!
この件以降、加藤清正も一目置いてくれるようになったし!

翌、慶長3年(1598年)、太閤殿下から私に帰国の命が下ったので、加藤清正や小早川の軍勢を現地に残して帰国し、伏見の殿下に拝謁しました。

殿下、どんなお褒めの言葉をかけてくれるのかなって、胸がはずみましたよ
総大将として日本軍の危機を脱し、これだけ活躍しましたからね。本当、ヤバくないですか?私って!!

それなのに・・・拝謁してすぐに殿下から、なんと!!思わぬ怒号が飛んできたんです💦

えぇぇぇぇ~私何か悪い事しました~~~~~???

えっ?怒号? 活躍したのに何で?

総大将という立場を分かっておらん!
総大将たるもの、率先して槍を持って敵に突っ込んでいくなど軽率すぎる!


勝手な行動をとるな💢って、激しく叱られました・・・泣💦

小早川秀秋さん 慶長の役後の大幅減封を語る

一瞬、耳を疑いましたよ。活躍したのに何で? 何かの間違いじゃないかって。
でも・・・ふと気づいたんです。

あ~~これが、他の大名達もやられた石田三成の讒言(ざんげん)ってやつなんだろうなぁって。
(※讒言・・・他人を陥れるため、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪く言うこと。)

当時石田三成は、戦場の様子を殿下に報告する立場だったんですが、黒田長政や加藤清正らも、戦場で活躍したにもかかわらず太閤殿下に悪く報告されたって怒っていました。

ただ自分は、日本軍の危機を救い、これだけ活躍したんだから、殿下は褒めてくれると信じていたんですが・・・

さらには罰として、筑前・筑後ら35万7千石から越前・北ノ庄12万石に国替えしろ!と命令されて。
罰?活躍したのに罰⁉ 何それ??もう言葉もなかったですね。

石田さん、何で秀秋さんの活躍を悪く報告したんですかね?

一つには、アイツは文治派の事務方だから、現場サイドの武断派が華々しく活躍しちゃうと文治派の立場が弱くなる。

だから、文治派のほうが上ってことを見せつける意味で、我々現場で戦ってる武断派をおとしめたのかもしれません。

あともう一つ、三成にとって重要なのは豊臣の将来です。
きっと殿下には『秀秋殿を褒めて評価したら、秀頼様と豊臣の将来に問題となります。』
くらいに言ったんじゃないですかね。

私が活躍し、殿下や周りの武将から認められ存在が大きくなれば、将来秀頼を脅かす存在になるに違いないってね。

三成って、太閤殿下以外は眼中になくて、太閤殿下以外の人の気持ちって考えない奴だから・・・
きっとそう考えたはずです。

この大幅減封のせいで、私は多くの家臣を解雇せざるを得ませんでしたよ。
解雇した家臣は、殿下や三成の家臣として吸収されました。

大幅減封と大切な家臣も取り上げられて・・・

アイコさん、私の存在って何なんですかね?
頑張ったのに罰せられて。殿下は本音は、私を抹消したかったの?

もう、ほんとに誰も信じられなくなりました。

小早川秀秋さん 徳川家康への恩を語る

秀秋さん:でも、捨てる神あれば拾う神ありですね。徳川殿が助けてくれたんですよ。

『絶対こんな事おかしいよね?こんなの受け入れられる訳がない!!』と抵抗する私に、
あの徳川殿は「今は太閤殿下には歯向かわない方が良い」と言ってきたのです。

確かに・・・歯向かえば秀次さんの二の舞ですもんね。コワっ💦

そして徳川殿が、こうも言ってくださったのです。
『越前への減封は、とりあえず素直に従いなさい。ただし秀秋殿と重臣は筑前からすぐに引っ越しせず、ゆっくりゆっくり時間をかけて引っ越しなさい』って。

そうやって時間稼いでる間に、私が太閤殿下と話してこの問題をどうにかしましょう、と。

私のために、人肌脱ぐっておっしゃったんです。その好意が本当に有難かった~
徳川殿は、本当に頼りがいのあるお方なんです。

さっすが~海千山千の家康様。
これが徳川260年続いた所以だわ。


人たらしの秀吉様も、この頃になると秀頼様オンリー。
天下統一して、人の気持ちを考える事もしなくなったの?

そんな中、家康様は、虎視眈々と機会をうかがっているのね。さすがだわぁ~

そして慶長3年(1598年)8月18日、秀秋さんがこの大幅減封という罰を受けてから4ケ月後、秀吉様は死去される訳ですね。

家康殿の、『時間を稼げ』ってアドバイスは、まさにこの時を見越していたかのよう・・・

秀秋さん:殿下の没後、徳川殿ら五大老によって、筑前領地没収の処分が取り消され無事に領地が復活しました!

家康公には本当に感謝しかないですよ。

アイコ:そしてこの2年後に、関ヶ原の戦いが起こる訳ですね~!

秀秋さん、次回はいよいよ関ヶ原の戦いについてお聞きします。
この決戦に際して、秀秋さんがどんな行動をとったのか?その時のお気持ちについてお聞かせくださいね!
世の中の皆さんの、小早川秀秋イメージの誤解を解くチャンスです!

次回は題して
『もう裏切り者とは呼ばせない!小早川秀秋、関ヶ原の真実を語る!』なんてどうですか?

いい!スゴくいい!泣💦 私のイメージ爆上がりです
是非よろしくお願いします!

ではアイコの部屋、また来週をお楽しみに💖

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