戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

  • 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
  • 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
  • モットー:ほどよく頑張る。
  • 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

アイコの部屋💖第8回目ゲストは小早川秀秋さん(3)もう裏切り者とは呼ばせない!小早川秀秋、関ヶ原の真実を語る!

2021/10/07

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皆さんこんにちは!アイコの部屋の時間です💖10月に入り、すっかり秋らしくなりましたね🍂
今日も、小早川秀秋さんをゲストにお迎えしています

小早川さん、今回はいよいよクライマックス!関ヶ原の戦いについてお聞かせください!

秀秋さん:3週に渡り、私を特集していただき有難うございます。結構、反響があって驚いてます。

小早川さんのこと、皆さんよく知らなかったですからね~

さて今回、私がどうしてもお聞きしたいのは、
小早川さんは、なぜ最初は西軍についたのか?って事です。

秀吉様や石田さんからあんな酷い仕打ちを受けたのに、なぜ始めは石田さん側についたんですか?
最初から東軍にいれば、裏切り者呼ばわりされずに済んだのに。

これは、世間の皆さんも疑問に思ってる事なので、ぜひ教えてください!

小早川秀秋さん 心は常に東軍にあった!

秀秋さん:なぜ西軍についたか、それは『流れ』のひと言につきますね。

もし私が徳川殿と一緒に上杉征伐に行き、小山評定に参加していれば・・・
徳川殿と豊臣恩顧の武将達と『打倒石田三成!』っていう自然の流れに乗れたんですけど。

そのタイミングを逃してしまったんですよ、泣💦 
でも実は、私は始めから家康殿に忠誠を誓っていたんです。

前回お話したように豊臣家、石田三成に対して恨みを持っていたし家康殿に助けられた恩がありますからね。

だから1600年6月、会津征伐のきっかけとなった上杉景勝の反逆が発覚した時、私は家康殿のいる伏見城へ使者を送り、家康殿に忠誠を誓いました。

家康殿が会津征伐に向かうと、今度は家康殿の重臣・鳥居元忠殿が守る伏見城に使者を送り、小早川はお味方すると申し出ました。

鳥居元忠像(栃木・常楽寺蔵)

でも!鳥居殿に拒否されたんです。

家康殿への忠誠心が人一倍強い、三河武士の代表格の鳥居殿だから、
自分が捨て石になり死ぬことを覚悟していたんでしょう。


外部の我々を巻き込むのが悪いと思ったのか、徳川殿への忠義を尽くした最期を邪魔されたくなかったのか?

そんな訳で・・・伏見城の鳥居殿には拒絶される一方、
周りの三成たち西の大名達は『 家康が不在の今こそチャンス!伏見城を攻めるぞ! 』って盛り上がっていました。

この状況で、三成が嫌いだから味方しない!なんて言ったら、まさに四面楚歌!
逆に、こちらが攻められてしまいます。

小早川家に養子にきた私にとって、最重要事項は、小早川家を存続させ繁栄させること。
朝鮮出兵の年に亡くなった養父の小早川隆景には、良くしてもらったのですごく恩があります。
だから、私が当主を引き継いだ後、小早川家を断絶させるなんて絶対に出来ないしあり得なかった。

だからまずはお家のため、家臣のため、流れに従い西軍につくしかなかったんですよ、泣💦

そして7月18日からの伏見城攻撃に加わりました。

総大将は宇喜多秀家、私は、やる気もないのに副将にさせられてしまいました。
いつもそう言う役回りなんですよね。

結局、小早川軍含め総勢4万人の大軍で攻め、伏見城は、鳥居殿を筆頭にわずか1800の兵で、
銃撃戦から始めた城攻めでしたが、鳥居殿は8月1日城内で自刃し、380名以上が自刃したといわれています。

結局、気づいたら、流れで伏見城の鳥居殿を攻める側に廻ってしまいました。

でも家康殿には、本当はお味方したかった!という気持ちを込めて、その時の西軍の情報を、しっかりと家康殿に報告するなどパフォーマンスを見せました。

伏見城の陥落後、今度三成は、安濃津城(三重県津市)を攻めるように命じてきたんです。
私としては、これ以上西軍に味方したくなかったんですが、ホント泣く泣く参陣しましたよ。

我々西軍は総勢3万、安濃津城に籠城する東軍は1700でしたからね、また西軍が勝ってしまいました。

小早川秀秋さん 黒田長政から東軍への寝返りを勧められる

あと、皆さんにお伝えしたいのは、私はこう見えてまだ19歳の若輩者で、外から来た養子、気が弱くてお酒が手放せない、そんな性格だということです。

小早川家のお家存続の為に、周りの家臣に相談しながら、時には家臣の意見に従いながら判断し行動しましたよ。

中でも、家臣の稲葉正成と平岡頼勝は、私の頼りになる相談役として本当によく支えてくれました。
平岡頼勝の正室の従兄弟は黒田長政だったので、平岡と黒田長政は、関ヶ原前から蜜に連絡を取り合っていました。

そして8月28日、黒田長政と浅野幸長からの連署書状がきて、東軍に寝返るように勧められました。

北政所様は東軍につくので、お主も、北政所様に御恩があるなら東軍についたほうがいいよって。

確かに3歳の時に豊臣家の養子にしてくれたのは北政所様ですからね。
その後秀頼が生まれて状況が変わってしまったけど、その後も北政所様は気にかけて可愛がってくれましたから。

私も家臣も、もともと東軍につきたかったけれど、最初、完全に東軍に入るタイミングを失ってしまい、
そんな流れで前哨戦では西軍側にいただけなんです。

例えるなら、クラスでガリ勉キャラの人が・・・
実はお笑い大好きだけど、キャラ変更のタイミングを外してしまい、無理してガリ勉キャラを3年間突き通した、
そんな感じかな。

そんなモヤモヤしてる私に、黒田長政が徳川殿との間を取り持ってくれて、東軍につくようにオファーをくれたきっかけで、ようやく念願の東軍につくことが出来たんです。

小早川秀秋さん 関ヶ原のウソを暴く

秀秋さん:令和を生きるアイコさんにお聞きしたいんですが、
世間では小早川秀秋は、関ヶ原でどんな行動をしたと言われてますか?

えっと。確か。
松尾山という高い山に、1万5千の兵を引き連れで陣取り、西軍と東軍の戦況を傍観してどちらが勝つか優位なほうを見極めていて・・・

お昼頃に業を煮やした家康様が、小早川さんの軍勢に鉄砲を打ち込んで、
驚いた小早川さんが、家康様が怖くて西軍に襲い掛かかり、一気に形成が変わり東軍を勝利に導いた。

っていうのが通説です。

アイコさん、それ大河ドラマの見過ぎじゃありませんか?
それは全くのフィクションですよ。

そんな話が登場するのは、関ヶ原の戦い後70年以上後の江戸中期です。
話を面白おかしくして興味を引くよう着色されています。実話と空想を混じえて書かれていますね。

フィクションの理由① 東軍からの威嚇射撃が聞こえるはずないから

私は標高290mある松尾山の山頂に陣を張っていたんです。下から登るのに徒歩で40分かかる高さですよ。
そんな場所にいて、平地でドンパチと銃音が随所で響き渡る中、威嚇射撃されているって分かるはずないですよね。

実際、誰がどう撃ったなんて、一次史料には一切記載は無いんです

【松尾山城跡・小早川秀秋陣跡/関ヶ原観光協会サイトより】

フィクションの理由② 関ヶ原の前日9月14日には、東軍に寝返る約束を交したから

家臣の稲葉正成と平岡頼勝宛ての、井伊直政と本多忠勝の連署起請文には、私が徳川殿につくと約束したと書いてあります。(『関ヶ原軍記大成』所収文書 )

そして徳川殿は合戦前日に、私がきちんと西軍を裏切り東軍として戦うかの見張り役として奥平貞治を、
黒田長政は、大久保猪之助を小早川陣に差し向けてきました。



やっと近年の研究で、小早川秀秋は合戦当日の朝から、西軍の大谷吉継部隊を襲撃し交戦していると明らかにしてくれて、ホッとしています。

だから皆さんに改めてお伝えしたい!
西軍から東軍に寝返ったのは、あらかじめ徳川殿との約束だったんです。予定調和なんです。

昼頃まで戦況を傍観してた、なんて誤解です。

確かに西軍から見れば、裏切りなのかもしれない。
けれど自分の名を恥ずかしめても、徳川殿に対しての義は貫けたと自負しています。

徳川殿も義を重んじる方なんですよ。

小早川軍勢が大谷吉継軍を攻めた時、このタイミングで西軍を裏切って西軍を攻めた3人の武将がいたんです。

そのうちの1人、脇坂安治は事前に東軍に与する約束をしていたから加増となりました。

一方、東軍有利の状況を見て、急に東軍に寝返った小川祐忠、赤座直保、この2人は、事前に東軍へ与する意思を表していなかったことで、戦後は裏切り者として徳川殿からも見放され所領を没収されたんです。

いくら東軍勝利に貢献したとは言え、義を軽んじる者は、また状況次第で簡単に徳川を裏切るはず。
そんな奴は信用できないってことなんでしょう。

この義を大切にする精神が、家康様と家臣の絆を深め、戦国最強の三河武士を作ったのね!
素敵!

家康殿にお味方することを、合戦前から約束していた小早川家だったからこそ、
20万石も加増されたんです。

実際には私、わりと早くから東軍への動きをしてたんですけどね。
関ヶ原の2年後、21歳でアル中で早く死んでしまったから・・・死人に口なしって感じですかね。
裏切り者キャラになってしまい、今まで本当に無念でした。

でも、今回アイコの部屋に出演させてもらい、私の裏切りキャラが少し払拭できたようでとても嬉しいです。

あっ、あと最後に三成に一言いいたい事があります。

物事には順序ってものがあると思うんだよね。

今まで、さんざん人に冷たくしておきながら、いざ自分が困った時には急に手のひら返して、
『秀頼様が成人するまで、関白という要職についてもらうから、是非味方になって欲しい』
ってすり寄られても、心は動かないよ。

しかも関白って、秀次さんがなって殺された役職じゃん。
えっ?俺殺されるの?って思ったよ~💦

そうゆうとこも、デリカシーないんだよね💢
だから、味方が少ないんだよ。

アイコさん、後で三成に会ったら伝えておいてくださいね!

私は今後、三成とは共演NGでお願いします~

分かりました💦

今回は本当の小早川さんを知る事ができて、嬉しかったです!またお越しくださいね ✨

さて次回は、
関ヶ原の戦いにまつわる、石田さんの素敵なエピソードをご紹介します💖
石田さん、今回評価を落としてしまったので、イメージ回復の意味も込めて・・

次回の石田さんのエピソードをもって、一旦、関ヶ原の戦いにまつわるお話は終わりにしたいと思います。

じゃまた来週ね💖

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