戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

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  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

戦国ちゃんがゆく!難攻不落のお城!忍城☆

2021/06/13

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こんにちは! 戦国LOVEの戦国アイコです☆ みんな、戦国してますか?

今回は、映画『のぼうの城』の舞台となった関東7名城の一つで、
あの難攻不落、落ちない城!埼玉県行田市にある “ 忍城 ”に行ってきたので、ご紹介しまーす☆

1590年、豊臣秀吉は天下統一に向けて総仕上げとして、北条家を討つため小田原征伐を開始しました。
関東には、北条家の本城である小田原城を始め、20コの支城があり、忍城はその一つ。

忍城は、この数ある支城のうち、小田原城の開城までの間、なんと唯一!豊臣軍が落とせなかった城なのです!

ちなみに、明治の時代に忍城は取り壊されていて、この建物は、忍城本丸跡に再建された御三階櫓(ゴサンカイヤグラ)で、内部は郷土資料博物館の一部になってます。

この郷土資料館では、忍城の歴史が詳しく解説されてて、忍城のジオラマ模型とか色々あって面白かったよ!

さて、豊臣秀吉は、石田三成を総大将とし、約 2万もの軍勢でこの忍城を攻めることを決定

けれど実は、当時の忍城城主、成田氏長はすでに秀吉に内通し、秀吉側に降伏すると伝えてあったのです。
だ・か・ら、この戦いは出来レース! 豊臣軍の勝利は事前に決まっていたのです。
(三成は、知らされていなかったけどね。)

秀吉は、お気に入り家臣石田三成が、加藤清正や福島正則ら同僚から評価が低いことを気にかけ、
三成に、この忍城攻めで武功を上げさせようと、総大将に任命したって言われてるんだよね。
秀吉の、三成へのおもいやりが伝わってきますの~。
なんて家臣思い💖

そうしてスタートしたはずの勝ち戦、忍城攻め。

ちなみに秀吉の命令で、これに参戦したのは、そうそうたるメンバーでした!
真田昌幸、長塚正家、浅野長吉、上杉景勝、直江兼続、佐竹義宣!

これは楽勝!のはずたった。。。

けれどこの時、忍城城主の成田氏長は、北条家の居城である小田原城へ行ってしまって忍城攻めの時にいなかったんだよね。
そのせいで物語の歯車が狂ってしまう事に・・・・。

留守を任された、いとこの成田長親(のぼう様)はいきなり方針変更!
城を開城、降伏せずに、ガッツリ本気で戦う!と豊臣軍に宣戦布告しちゃったもんだから、状況は一変してしまうんだ。

こうして豊臣軍2万 VS 成田軍3500(500人の侍や足軽のほか、雑兵、農民、町人など3,000人の忍城籠城戦)の戦が幕を開けるのでした。
いやぁ~絶対無理でしょう、汗。 だって6倍近い敵だよ。
成田軍 3,500人とはいえ、侍はたったの500人だし一体どうしたの成田長親?

忍城の痕跡で唯一残されている本丸跡の土塁です
(忍城の痕跡で唯一残されている本丸跡の土塁です)

でもまぁ普通に考えて、2万 対 3,500 じゃね。2万の豊臣軍が楽勝だと思うよね~。

けれど・・・忍城が建っていたのは沼地で湿地帯、そして忍城への入口は狭い幅の橋しかなくて。
まさに自然が作り上げた要塞。(資料館のジオラマ見ると、難攻不落なのが分かる)

三成率いる豊臣軍は頑張って攻めたんだけど、上手くいかないんだよね。

そこで業を煮やした秀吉は、お得意の “ 水攻め ” を決行するように三成に命令!

そして三成は、近くを流れる利根川を利用した “ 水攻め ” を行うことになったんだ。

でも、これもまた大変で・・・

つ・づ・く☆

次回は、石田三成が水攻め決行のために作った、“ 石田堤 ” (いしだづつみ)を紹介しますー☆
たくさん写真も撮ったので、お楽しみに💖

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