
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
1584年12月、秀吉に対面し元服の儀式をしてもらい、立派な名前をもらった於義伊改め、秀康(^^)/
さらには、河内で1万石という所領まで与えられました!!
秀康は今まで、
一番立派な城は浜松城、一番権威ある人は父家康、そして自分は恵まれた衣食住の生活をしている
と思っていました。
でもそれは、浜松という田舎の世界での話。
ここ大阪、とりわけ大阪城は、ケタ違いの豪華絢爛ぶりだったのです!
どこもかしこも、輝き、きらめき、目が痛いほど~✨
まさに、秀吉さんらしい “成り上がり者 ”のギラギラ感がたっぷり!
地味で固く、倹約家の実父家康とは真逆の派手な雰囲気。
秀吉さんと言えば、黄金の茶室でも有名ですよね!
地方から来た大名は、当時は、さぞかし驚いたでしょうね。
秀康は当初、きらびやかな襖絵に戸惑い、部屋にいるのが落ち着きませんでした。
しかし徐々に大阪の生活にも慣れ、今まで地味に抑えられてきた反動から、逆に、
この派手で豪華な生活にドハマり!!
福島正則らの酒豪と交流して、お酒の味を覚えたり、
美しく派手な衣装を着て、食事は象牙の箸を使い、馬小屋には秀康好みの馬がずらりと並び・・・
こうして秀康は、贅沢を愛し浪費を覚えていくのでした。
秀康さん、大阪暮らしで贅沢三昧!?
今まで我慢、我慢の人生でタガが外れたのは分かるけど。
この金銭感覚、この後の人生で困らなければいいけどね~
秀康が贅沢三昧の生活を送っている一方、2人の父 秀吉と家康は緊迫した駆け引きを続けていました。
秀吉は、秀康が大阪に送られてきたことを、家康が自分に従うという意思の表れだと解釈したのに、
家康は一向に上洛する気配もない。
何としても家康を配下に従わせたい秀吉は、周りから追い込んでいくのです。
1585年の秋までには、雑賀・根来(さいか・ねごろ ※和歌山)の一向宗徒を鎮圧、四国も従え、
越中の佐々成政を降伏させました。(これらは以前、家康と結んでいた勢力)
さらに、信州の真田昌幸と家康の戦い(第一次上田合戦)では、秀吉は越後の上杉景勝に命じて
真田を援助させて、家康を撃退します。
【上田城西櫓】
小牧・長久手で家康を頼ってきた織田信雄も、今やすっかり秀吉側。
もう家康と同盟できる相手は、小田原の北条くらいしか無い。
家康さん、孤立してきちゃったね。
コーナーに追い詰められて大ピンチ⁉
同年10月、さらに決定的な出来事が起こります。
秀吉は、諸国の大名に対し『人質を差し出すように』と指令を出したのです。
人質を出すことで、秀吉に服従する意思を明確にしろ!ってことね。
もちろん徳川に対しても、人質を求めてきましたが、なんと家康は断固拒否!
小牧・長久手の戦い後の講和条件では、
秀吉が『養子』を欲しいと言うから、於義伊をくれてやっただけの話で、さらに『人質』なんて出すつもりはない!
秀吉に従うつもりはない!
と、秀吉の命令に背く決定をしてしまったのです!
これで両者の決裂は、決定的?
『養子』といいながら、実際は『人質』の秀康さん。
この状況だと、人質である秀康さんの命が危ない⁉
秀康、この豪遊生活も、あっけなく1年で終わりか?
両者の対立に焦ったのはこの人、鬼作佐こと本多重次。
もし人質の秀康が殺されると、付き従わせている息子の仙千代の命も危ない。
本来なら、今こそ息子には、
『秀康様を励まして、いざという時はともに死ぬように』と伝えるべきところなのに、
そこややっぱり親心。
ただでさえ子煩悩の重次さん、どうしても仙千代を救い出したいという気持ちが募ります。
仙千代は、たった一人の長男で(他に女子4人)、どうしても家督を継がせたい!
ここで殺される訳にはいかない!
家督を継がせるためには、大阪にいる秀康の元からどうにかして浜松に呼び戻さなくては!
本多家が、本多重次の代で終わってしまう恐れもあり、焦りが募ります。
どうする?重次!!
考えた末、重次は「仙千代の母が病気で、母親の看病をさせたい」と嘘をつき、
ちゃっかり仙千代を呼び戻し、代わりに秀吉に無断で、甥っ子の富正(とみまさ)を大阪城に差し出したのでした。
ありゃ~、さすがの鬼作左も、
秀康を見捨てて、我が子だけ救い出しましたか💦
でも、忠義に厚い鬼作佐、悩みに悩んだ末の判断だったのかな。
さらに同年11月、徳川家を揺るがす出来事が起こります。
家康の側近中の側近で、長男の信康後は岡崎城代となっていた石川数正(いしかわ かずまさ)
が出奔(しゅっぽん)し、豊臣に寝返ってしまったのです。
これには、家康もびっくり!!
徳川の軍事機密の全てを知る石川和正の出奔により、
徳川軍は、軍略を一から見直さざるを得ないことになってしまいました。
出奔の理由は諸説あって、
秀吉に気に入られスカウトされた、徳川家の中で浮いてしまい居づらくなった、
人質を出さない徳川のために自ら人質となったとも。
この年の前年、数正は秀康の付き添いとして、次男の勝千代を大阪城に送り込んでいます。
なので、家康が秀吉の命令に背いて人質を出さないという事は、秀康はおろか、
息子の勝千代の命も危ない!という事を意味するんですよね。
きっと石川数正は、自分が徳川を捨て豊臣に行けば、勝千代の命が保証される!
そんな親心もあって出奔したんじゃないかな。
子を想う親の気持ち、本多重次と一緒だね。
こうして、本多重次は我が子を救い出し、石川数正も我が子を守りましたが、
秀康の父 家康は、秀康の命を危険にさらしてもなお、秀吉への服従を拒み続けました。
家康さん、やっぱ冷たい~。それでもあなた父親ですか?
他の父親が、決死の覚悟で息子を守る行動をしているのを横目に、
秀康は何を感じていたんだろうね?
せめてもの救いは、重次が息子の代わりに送り込んだ、本多富正(ほんだ とみまさ)
この出会い以来、秀康が死ぬまで、富正は秀康の腹心の家臣となり、
2人の深い信頼関係が続いていくことになるのです✨
秀吉と家康の対立は、いつまで続くの?
そして秀康の命は⁉ このまま派手な生活を続けていけるの?
つづく☆次回をお楽しみに(^_-)-☆💖