
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは✨
4月初旬、長野県上田市の木曽義仲挙兵の地で、まさかの青木崇高さんに遭遇し、にわかに木曽義仲の大ファンになったアイコですww
木曽義仲、せっかくファンになったのに・・・
先週の大河であっと言う間に消されてしまいました。泣(T_T)
優しく真っすぐで義理深い、いい人だったので、本当に残念ですよね。
後白河法皇の寵姫、鈴木京香さんが言っていたとおり、まさに『可哀そうな人』でした。
それにしても、この大河ドラマでは、木曽義仲の尺が短いな~
主人公じゃないから仕方ないけど、
木曽義仲の部分は、サクサク話が進んじゃいましたね。
特に最後のシーンなんか、『心残りが一つあるとすれば・・・』って言った瞬間に、オワタ( ;∀;)
長野の大地ですくすくと成長した、心の優しい義に厚い木曽義仲は、
なぜこんな悲運の最期をとげるハメになったんだろう?
どこをしくじっちゃったのかな?
にわかファンのアイコが、愛情を込めて、義仲のしくじりをゆるーく語っていくよー☆
1180年、以仁王の令旨を受けた時、木曽義仲は挙兵に積極的ではありませんでした。
しかし同年9月に、長野で勢力を張る平氏の家人・笠原頼直が、同じく長野を領地としていた源氏の栗田氏と村山氏に襲いかかります。義仲は援軍を求められたので、流れで戦いに参加したのです。
戦が強かった義仲。この「市原合戦」で、見事に笠原頼直を撃破!
この戦がきっかけで、義仲は長野全域の武士団を配下に収め、さらに亡き父・源義賢に仕えていた群馬の家臣達もその活躍ぶりを聞き、義仲のもとに駆け付け、軍の勢いは増大していきました。
戦上手の義仲さん。
周りから担ぎ上げられちゃったのね。
所々の戦で勝つ度に、勢いを増す義仲軍!!
どんどん味方が増えていき・・・
ついに頼朝軍よりも早く、破竹の勢いで入京を果たすのです!
平氏を都から追い出したぜ!!
20年ぶりに、源氏の白旗立てたぜ!!
キャー💖義仲さん、すごい~~!!
で・・・
これからどうするの?
日本一食えない男、後白河法皇とどう関係を築いていくの?
そうなんです。
打倒平家!の目標を掲げ、一致団結して突っ走ってきた義仲軍だったけど、
その先をちゃんと考えていなかった~~
悲しいかな、頼朝と義仲の大きな違いは、ココ!!
こうして具体的なビジョンや、朝廷を上手く操る術を持たなかった義仲軍。
※唯一、朝廷と深いパイプのある藤原重季(しげすえ)を、富山県に残してきた以仁王の遺児・北陸宮(ほくりくのみや)のもとに置いてきてしまったのも痛恨のミス!
義仲軍のほとんどは、義仲の勢いにあやかって、にわかで味方についた兵が多数で気持ちはバラバラ。
また運が悪いことに、京都では大飢饉で餓死する人々も多数出てしまった。
そんな中、義仲の軍(にわかの味方軍勢)は、略奪を繰り返し、京都の人々からは、
平家支配のほうがマシだったよー
と思われてしまい・・・
軍の統率も取れず目的を見失い、義仲の軍勢は崩壊の道へ突き進んでしまいます。
源行家は、義仲と頼朝の父親の兄弟で、二人にとって叔父にあたります。
この叔父さん、先に頼朝を頼って相模に住み着いていたんだけど、
頼朝に所領をおねだりして拒絶され、今度は義仲を頼ったんですよね。
そして義仲は、この叔父さんを受け入れてしまった!!
あちゃ~!
このおじさん、自分勝手でトラブルメーカーなんだよね。
頼朝は、行家が木曽義仲を頼ったことをよく思わず、さらに、勢力を拡大しつつある義仲を危険視していました。
結局、この叔父さんが原因で頼朝に睨まれた義仲は、嫡男の義高を差し出し、頼朝と同盟を結ぶハメになったのです。
大切な息子(しかもドラマではあんな美男子)
と引き換えに助けた叔父でしたが、
結局、義仲の足を引っ張る行動を取っていくよー
1183年、義仲と行家の軍勢が入京した際、後白河法皇からの勲功は、
第一が頼朝、第二が義仲、第三が行家という順位でしたが、
行家は、義仲より下の順位に不満爆発!!
おじさん、そこ競うところじゃないでしょ。
甥っ子をサポートしてあげなきゃ!
義仲に対抗心を燃やす行家は、後白河法皇にスゴロクの相手などをして、取り入ることに成功。
義仲が平家の追討に言っている間に、さんざん義仲の悪口を言って貶めたんだって。
おじさん、どこへ向かう?
このおじさん、あげくの果てには、義仲へ挙兵しちゃうんだよね。
そのせいで義仲の腹心、樋口兼光(ひぐちかねみつ)は、500騎の兵で行家討伐に行ったから、
主君義仲の最期の瞬間に立ち会えなかったのでした。( ;∀;)
ずっと和歌山で暮らし、京のマナーも知っていた行家おじさん。
義仲の側近として、サポートしてあげたら結果は違っていたかも。
拾ってもらった義仲への恩を、仇で返しちゃいまいしたね。
鎌倉時代、なんかこーゆー人多いね。
一方、源頼朝の側近には、京の都でスーパーエリートだった大江広元が付き従い、朝廷との交渉役を一手に担い、鎌倉幕府樹立に向けて力を発揮していくよー☆
この人がいなかったら、鎌倉幕府は出来なかったと言われているよ。
側近選びは大切だね。
ちなみに、この大江さん、毛利元就のご先祖らしいよ♪優秀~
義仲最大のしくじりは、皇位継承に口を出しだこと!
平家が都落ちした際、安徳天皇を連れ去ったため、後白河法皇は次の天皇を決めようとしていました。
義仲は、以仁王の遺児・北陸宮(ほくりくのみや)を即位させるべき!と後白河法皇に迫りました。
朝廷直轄の軍隊の責任者が、朝廷の人事に口をだすなんて、
ちょっとお門違い??
後白河法皇が義仲に期待したのは
『命令した通り平家を駆逐し、挨拶だけしたらさっさと西国に追撃に行って欲しかっただけ』なのに、意見されてその無礼さにびっくり!!だったでしょうね。
義仲を見限った後白河法皇は、義仲を平氏追討を命じて京から西国へ追い出した後、
留守中に関東の源頼朝に乗り換えました。
義仲は、頼朝に乗り換えた後白河法皇にブチ切れ💢
法住寺殿を襲撃し、法皇の味方ををことごとく討ち、後白河法皇本人も捕らえ幽閉しちゃったー((+_+))
義仲さん、こればマズいよ~
まぁ後白河法皇は、これで3度目の幽閉だから、慣れてるけどさ。
って、そうゆう問題じゃないかww
戦は感情的になったほうが負けだよー
もともと評判の落ちていた義仲は、この一件でさらに、味方を失ってしまい・・・
1184年、源頼朝に派遣された源範頼・義経軍によって木曽義仲は討たれてしまうのでした。
享年31歳。挙兵してわずか3年足らずのことでした。
今日は木曽義仲の、人生しくじりポイントをアイコの愛情を込めて語ってみましたよ。
そしてアイコは思うんだよね。
木曽義仲、挙兵なんかせず、
川魚でも釣って、長野でのんびり暮らしていればよかったのになぁ。って。
来るもの拒まずで仲間を大切にし(いらない輩も引き受けて)、戦上手だったから、勢力がドンドン拡大して・・・結果、頼朝に睨まれてしまった。
武勇には優れたけど、入京後に重要な、朝廷との駆け引きが出来る人ではなかった。
側近に、大江広元のような謀臣・策略家がいれば全く違っていたけど、行家おじさんじゃ、ね。
甲斐源氏武田のように、その場を離れず勢力を温存しながら、頼朝との関係で上手く立ち回ればよかったのに。
そして頼朝の信頼を勝ち取っておいて、時期がきたら、義経征伐に参戦したりなんかしてww
でも!!
真っすぐで熱く、不器用な木曽義仲だったからこそ、後世の私達は、その生き様に魅了され続けているんでしょうね💖
松尾芭蕉も、熱烈ファンになる訳だわ。
義仲のお墓の隣に、自分のお墓たてちゃうのは、ちと行き過ぎだけどww
じゃあ今回は、これでおしまい。
木曽義仲役の青木崇高さん、素敵でしたね!
さわやかな風が吹き抜けるような、好青年の木曽義仲だったなぁ(^^)/~~~
ではでは、楽しいGWを☆
アイコが青木崇高さんに遭遇した時の記事はこちら♪
↓ ↓ ↓ ↓
https://sengokucafe.com/4718/
【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/15.html
【主な参考文献】
永井 晋『源 頼政と木曽義仲』中公新書
楠木誠一郎『鎌倉バトルロワイヤル 13人、生き残るのは誰だ?』講談社
松村邦洋『鎌倉殿の13人を語る』プレジデント社