
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな20代独身会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな20代独身会社員
こんにちは!戦国LOVEのアイコです(^^)/
このところ大河ドラマ鎌倉殿の13人で、上総介広常、木曽義仲が立て続けに消され傷心モードだったので、
GWは、気分転換にお城巡りをしてきました♪
訪れたのは、戦国ファンが愛して止まない群馬県みなかみ町にある『名胡桃城』!!
そして、名胡桃城から車で10分位の沼田城!
一度来てみたかったので、嬉しかった~!!
と言う訳で今回は、戦国時代の終焉のきっかけとなった『名胡桃城事件』をゆる~く語っていくよー☆
名胡桃城を語る前に、沼田城のことを話さないとね!
【沼田城址/小松姫と真田信之】
群馬県の沼田地域は戦国時代、越後と上野(群馬)を結び、信濃に通じる北関東の要衝でした。
上杉さんからすると越後から関東への足がかり場所だし、武田さんにとっても、信濃から関東へ攻める際の重要な土地!!
さらに北条さんにとっても、是非ともこの土地を押さえ拠点にし、北関東の支配を広げていきたいところ。
この重要な要所に築城された沼田城は、諸勢力が、取って取られてを繰り返します。
なるほど~そこまで重要な場所なら、そりゃあ取り合いになるよのぉ。
なんか、アイコも欲しくなってきたぁ。
【沼田城址/小松姫と真田信之】
ざっくり、沼田城の歴史を整理すると・・・
①最初に沼田城を築城したのは、沼田氏ね。名前の通りww
②北条氏が、相模から来て沼田さんを追放し沼田城を攻略。
③上杉謙信が、関東管領として沼田城を攻略。この地域を10年支配。
④1578年、謙信が死去すると、再び北条氏が攻略。
そして!
謙信の跡目争い『御館の乱』で上杉景勝と武田勝頼が甲越同盟を結び、上杉氏が武田氏の沼田攻略を承認しました。
ここで沼田城攻略の命を受けたのが、当時武田の家臣だった真田昌幸、なのです。
ここで、やっと真田昌幸登場!
【沼田城/鐘櫓】
さて、次は名胡桃城のお話です。
もともと名胡桃城は室町時代に、沼田氏の一族と言われる名胡桃氏が館を築いたのが始まりでした。
1579年、武田家家臣の真田昌幸がこの館を攻略し、沼田城を落とすための前線基地として、館の隣に名胡桃城を築いたのです。
下の名胡桃城復元イラストを見てね!
名胡桃さんの館があったのは、般若郭(左側)で、そこを攻略後、
昌幸さんはその右側に、本郭・二郭・三郭などの主要部が直線に並んだ連郭(れんかく)式の山城を築きました。
1580年、昌幸さんは沼田城を調略により無血開城に成功!
さすが真田昌幸!念願の沼田城を手に入れ、
今後しばらくは武田支配が続くのかな?
とおもいきや、歴史的大事件が!!
1582年3月、武田氏滅亡!!武田勝頼37歳にて自害。
マジか!!
真田昌幸、ショック!
主君を失ってしまった昌幸さん、
急いで織田信長に取り入り、家臣にさせてもらいました。
しかし、その信長も・・・
1582年6月、本能寺の変にて、織田信長死没!
ウソだろ!?
真田昌幸、ショック!
まさか!!
信長の家臣になってたった3ケ月なのに!
また主君を失ってしまった昌幸は、今度は徳川の配下になりました。
しかし・・・
武田と織田という強力大名が滅亡した後に残ったのは、甲斐・信濃・上野に広がるエアーポケット状態のその遺領!!
この土地を巡って、北条さんと徳川さん上杉さんの間で、「天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)」という領地争奪戦が始まるんだよー☆
諸大名さん、領地拡大の大チャンス到来!!
本能寺の変からわずか1ケ月後の7月には、北条さんは織田家重臣の滝川一益を破り、上野から信濃まで勢力を広げることに成功します!
※この領地争奪戦は、後の北条VS佐竹の『沼尻の合戦』につながっていくよ☆
よかったら以前の記事を参照してね。
↓ ↓ ↓ ↓
https://sengokucafe.com/2047/
そしてこの天正壬午の乱の結果、家康は北条に、
北条さん、上野は好きに治めてよいよ
と昌幸に知らせず、勝手に約束してしまったのです!
家康、勘弁してくれよ~
頭をかかえる真田昌幸。。
大切な沼田領は、このまま北条に取られてしまうの?
大河ドラマ真田丸でも、
昌幸役の草刈正雄さんが、悩みながらも懸命に立ち回っていましたね。
こんな勝手な約束しやがって、ふざけるな!!
勝手な約束に反発した昌幸は、徳川を出て今度は上杉氏の傘下へ入りました。
昌幸さん、次々決断、行動しなきゃの連続で忙しい~!
戦国の世を生きるのは大変だ!
そしてこれが後に、徳川氏との第一次上田合戦へつながります。
その後も度々、北条の軍が沼田領に攻めてきましたが、昌幸ら真田勢は北条の軍勢を撃退することに成功しました。
名胡桃城も沼田城の有力な支城として、奮戦したそうですよ。
昌幸さん、主君が変わっても、沼田領だけは渡さない!!
真田家当主としての意地を感じるね!
これでしばらく真田の沼田領は安泰か?
なんか聞いた事あるフレーズ?!家なき子か!!
(同情するならお金くれ!!)ww
ここで太閤殿下、秀吉の登場!名胡桃城事件まで、あと少しだよ―☆
1586年12月、天下統一を目前にしていた関白秀吉は、大名間の戦いを禁止しました。
いわゆる「惣無事令」(そうぶじれい)です。
ちなみに真田昌幸は、この頃すでに秀吉の臣下となっています。
秀吉は、自分の天下統一に対抗する北条氏に、上洛を促しました。でも、拒む北条!
そして北条はここで一つの条件を出します。それは、
真田領の利根沼田をくれれば上洛するよ
まだ沼田にこだわるか~!
北条さんもしつこいねぇ。
これを秀吉から聞いた昌幸は、猛反対しました。
けれど妥協案を出します。それは・・・
沼田城は渡しても、名胡桃城だけは渡せない!
なるほど~。
昌幸さん、沼田領の全部は差し出さないってことね。
【名胡桃城址/この先に沼田城があった】
1589年、関白秀吉は両者の間に入り、
利根川を境として沼田城を含む東部を北条、
名胡桃城を含む西部を真田、で決着してよ
という裁定を下しました。
広さ的には、沼田領の3分の2が北条、3分の1が真田になりました。
秀吉は北条を上洛させたいから、北条に有利な裁定をしたんだろうね。
【秀吉による裁定/沼田領分割図】
さぁ!これでいよいよ北条は上洛するのか⁉
と思いきや・・・
いよいよ!名胡桃城事件が勃発してしまうんだよー☆
長くなったので、つづく☆
意外と、名胡桃城事件までの説明に時間かかってしまったww
次回をお楽しみにね~(^_-)-☆