戦国カフェ 〜OLが戦国武将をゆる〜く語るブログ〜

プロフィール

名前:戦国アイコ 
戦国武将とカフェが大好きな会社員

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  • 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。

戦国時代が終わるきっかけとなった城☆真田昌幸 築城の名胡桃城!この小さな山城が原因で5代続いた北条氏が滅亡へ!秀吉、家康、北条、真田を巻き込んだ名胡桃城事件とは⁉(1)

2022/05/08

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こんにちは!戦国LOVEのアイコです(^^)/

このところ大河ドラマ鎌倉殿の13人で、上総介広常、木曽義仲が立て続けに消され傷心モードだったので、
GWは、気分転換にお城巡りをしてきました♪

訪れたのは、戦国ファンが愛して止まない群馬県みなかみ町にある『名胡桃城』!!

そして、名胡桃城から車で10分位の沼田城!

一度来てみたかったので、嬉しかった~!!

と言う訳で今回は、戦国時代の終焉のきっかけとなった『名胡桃城事件』をゆる~く語っていくよー☆

沼田城はオレの物!争奪戦勃発!

名胡桃城を語る前に、沼田城のことを話さないとね!

【沼田城址/小松姫と真田信之】

群馬県の沼田地域は戦国時代、越後と上野(群馬)を結び、信濃に通じる北関東の要衝でした。

上杉さんからすると越後から関東への足がかり場所だし、武田さんにとっても、信濃から関東へ攻める際の重要な土地!!

さらに北条さんにとっても、是非ともこの土地を押さえ拠点にし、北関東の支配を広げていきたいところ。
この重要な要所に築城された沼田城は、諸勢力が、取って取られてを繰り返します。

なるほど~そこまで重要な場所なら、そりゃあ取り合いになるよのぉ。

なんか、アイコも欲しくなってきたぁ。

【沼田城址/小松姫と真田信之】

ざっくり、沼田城の歴史を整理すると・・・

①最初に沼田城を築城したのは、沼田氏ね。名前の通りww
②北条氏が、相模から来て沼田さんを追放し沼田城を攻略。
③上杉謙信が、関東管領として沼田城を攻略。この地域を10年支配。
④1578年、謙信が死去すると、再び北条氏が攻略。

そして!
謙信の跡目争い『御館の乱』で上杉景勝と武田勝頼が甲越同盟を結び、上杉氏が武田氏の沼田攻略を承認しました。

ここで沼田城攻略の命を受けたのが、当時武田の家臣だった真田昌幸、なのです。

ここで、やっと真田昌幸登場!

【沼田城/鐘櫓】

名胡桃城は 沼田城を落とすための城!

さて、次は名胡桃城のお話です。
もともと名胡桃城は室町時代に、沼田氏の一族と言われる名胡桃氏が館を築いたのが始まりでした。

1579年、武田家家臣の真田昌幸がこの館を攻略し、沼田城を落とすための前線基地として、館の隣に名胡桃城を築いたのです。

下の名胡桃城復元イラストを見てね!

名胡桃さんの館があったのは、般若郭(左側)で、そこを攻略後、
昌幸さんはその右側に、本郭・二郭・三郭などの主要部が直線に並んだ連郭(れんかく)式の山城を築きました。

1580年、昌幸さんは沼田城を調略により無血開城に成功!

さすが真田昌幸!念願の沼田城を手に入れ、
今後しばらくは武田支配が続くのかな?

とおもいきや、歴史的大事件が!!

武田氏 織田氏の滅亡!真田昌幸どうする?

1582年3月、武田氏滅亡!!武田勝頼37歳にて自害。

マジか!!
真田昌幸、ショック!

主君を失ってしまった昌幸さん、
急いで織田信長に取り入り、家臣にさせてもらいました。

しかし、その信長も・・・

1582年6月、本能寺の変にて、織田信長死没!


ウソだろ!?
真田昌幸、ショック!

まさか!
信長の家臣になってたった3ケ月なのに!

また主君を失ってしまった昌幸は、今度は徳川の配下になりました。
しかし・・・

武田と織田という強力大名が滅亡した後に残ったのは、甲斐・信濃・上野に広がるエアーポケット状態のその遺領!!

この土地を巡って、北条さんと徳川さん上杉さんの間で、「天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)」という領地争奪戦が始まるんだよー☆

諸大名さん、領地拡大の大チャンス到来!!

本能寺の変からわずか1ケ月後の7月には、北条さんは織田家重臣の滝川一益を破り、上野から信濃まで勢力を広げることに成功します

※この領地争奪戦は、後の北条VS佐竹の『沼尻の合戦』につながっていくよ☆
よかったら以前の記事を参照してね。

↓ ↓ ↓ ↓ 
https://sengokucafe.com/2047/

そしてこの天正壬午の乱の結果、家康は北条に、

北条さん、上野は好きに治めてよいよ

と昌幸に知らせず、勝手に約束してしまったのです!

家康、勘弁してくれよ~

頭をかかえる真田昌幸。。

大切な沼田領は、このまま北条に取られてしまうの?
大河ドラマ真田丸でも、
昌幸役の草刈正雄さんが、悩みながらも懸命に立ち回っていましたね。

真田昌幸 沼田は絶対渡さない!

こんな勝手な約束しやがって、ふざけるな!!

勝手な約束に反発した昌幸は、徳川を出て今度は上杉氏の傘下へ入りました。

昌幸さん、次々決断、行動しなきゃの連続で忙しい~!
戦国の世を生きるのは大変だ!

そしてこれが後に、徳川氏との第一次上田合戦へつながります。

その後も度々、北条の軍が沼田領に攻めてきましたが、昌幸ら真田勢は北条の軍勢を撃退することに成功しました。
名胡桃城も沼田城の有力な支城として、奮戦したそうですよ。

昌幸さん、主君が変わっても、沼田領だけは渡さない!!
真田家当主としての意地を感じるね!
これでしばらく真田の沼田領は安泰か?

北条氏政「上洛するから沼田くれ!!」

なんか聞いた事あるフレーズ?!家なき子か!!
(同情するならお金くれ!!)ww

ここで太閤殿下、秀吉の登場!名胡桃城事件まで、あと少しだよ―☆

1586年12月、天下統一を目前にしていた関白秀吉は、大名間の戦いを禁止しました。

いわゆる「惣無事令」(そうぶじれい)です。

ちなみに真田昌幸は、この頃すでに秀吉の臣下となっています。

秀吉は、自分の天下統一に対抗する北条氏に、上洛を促しました。でも、拒む北条!
そして北条はここで一つの条件を出します。それは、

真田領の利根沼田をくれれば上洛するよ

まだ沼田にこだわるか~!
北条さんもしつこいねぇ。

これを秀吉から聞いた昌幸は、猛反対しました。
けれど妥協案を出します。それは・・・

沼田城は渡しても、名胡桃城だけは渡せない!

なるほど~。
昌幸さん、沼田領の全部は差し出さないってことね。

【名胡桃城址/この先に沼田城があった】

豊臣秀吉 ついに裁定を下す!

1589年、関白秀吉は両者の間に入り、

利根川を境として沼田城を含む東部を北条、
名胡桃城を含む西部を真田、で決着してよ

という裁定を下しました。

広さ的には、沼田領の3分の2が北条、3分の1が真田になりました。
秀吉は北条を上洛させたいから、北条に有利な裁定をしたんだろうね。

【秀吉による裁定/沼田領分割図】

さぁ!これでいよいよ北条は上洛するのか⁉

と思いきや・・・
いよいよ!名胡桃城事件が勃発してしまうんだよー☆

長くなったので、つづく☆

意外と、名胡桃城事件までの説明に時間かかってしまったww
次回をお楽しみにね~(^_-)-☆

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