プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
全国1億6千万人の戦国ファンのみなさん、こんにちは!!戦国大好き!アイコの部屋の時間です💛
先週の大河ドラマどうする家康、第44回「徳川幕府誕生」では、榊原康政さんが最期の回でしたね!!
榊原推し💖の私としては、是非、色々お話をお聞きしたい~!
ということで今回のアイコの部屋、ゲストは、榊原康政さんをお迎えしました!
榊原康政さん~ようこそアイコの部屋へ!
お久しぶりです。アイコさん。また呼んでいただき光栄です。
【榊原康政】
早速ですが、ドラマでの榊原さんの最後のシーン、感動的でしたよ!!
榊原さんを最後まで描くドラマは、後にも先にも無いかと思うので、大変貴重でした!
そうですね~
戦国時代もので、私をキャスティングしてくれる作品自体、ホント少ないですから。
平和な世の中に変わり、私や本多忠勝ような武功派の人間が、肩身が狭くなり老いていき・・・
そんな晩年の寂しさを描く作品は今までないので、今回は良かったです!
たしか、関ケ原の戦いが終わると・・・
本多正信をはじめとする文官が多く登用され、武功派と対立が起きるんですよね。
でも榊原さんは、
老臣、権を争うは亡国の兆しなり(老いた家臣が権力をもつことは、国が滅びる前兆となる)
と言って、
権力闘争からは退き、新しい時代の変化を感じとって、自らいさぎよく隠居なさったんですよね!
人間、一度権力持つとなかなか手放せないのに、本当に引き際がカッコイイ~💖
いや~それほどでも・・・まぁ、男の美学ってやつかな。フッ。
お~~い!!
アイコさ~ん!!
なんでワシを呼ばないのだ!!
はいっ!?あの~~どなたでしょうか?
ワシじゃよ!!本多忠勝じゃ!!
あら、本多さん!?
必ず榊原さんの回に割り込んできますねww
強引なところが本多さんっぽいわー(笑)
なんだよ忠勝!!お前は、呼ばれてないだろ!?
今回は、俺のソロインタビューなんだから、
邪魔するなよ!
「どうする家康」で最後を遂げたオレに感動して、アイコさんが呼んでくれたんだぜ!
お前は、「どうする家康」の他にも「真田丸」など他の作品にも数多く出演してるんだから、
せっかくの、俺の回にわざわざ割り込まなくてもいいだろ!!
ハッハッハッ!!
なんたってワシは、戦国最強じゃからな!他の作品にも引っ張りだこの人気者じゃわい!!
お前は、武力のパロメータは高いが、後は低いだろうが!!
オレは、その点、武力、知略に優れ・・・あと何と言っても、字がメチャクチャ上手い!!
平均点では勝っておるな!!
まぁまぁ~お二人ともケンカしないでください。
でも、お二人の掛け合い、コンビ芸、さすがです!
M1に出場したら、そこそこ上位狙いそう!ww 鬼越トマホークもびっくりなケンカ芸ですね!!
それはそうと、今回の「どうする家康」では最後、お二人で老体でありながら戦ったシーンが感動的でしたよ✨
家康様を天下人に押し上げ、天命を全うしたお二人、マジカッコ良かったです。
康政!!おまえの事は認めん!!
すみませんねアイコさん、これ忠勝の最近の決めゼリフでして・・・
バカの一つ覚えで、こればかりなんですよww
ドラマでは本多さんが、槍の手入れ中に指をケガして、自分の老いを感じ、
家康様に隠居を願い出るシーンがありましたね!
あれもよかったわ~ウルっときましたよ✨
本多さんは、榊原さんと戦うシーンで、
「殿を守って死ぬのがワシの夢じゃ」
とおっしゃってましたね!
家康公をいつまでもお守りしたい!まだ死ぬ訳にはいかない!という忠勝さんの気持ち、辞世の句にも表れてますよね✨
死にともな ああ死にともな 死にともな 深き御恩の君を思へば
(死にたくない 死にたくないのだ 何にも勝る家康公への御恩があるのだから)
アイコさん!私の話に戻してください💢
やっぱ忠勝出てくると、話持っていかれる!
すみません、ついつい・・・忠勝さん人気武将ですからね~
さて、大河ドラマでは、榊原さんは58歳でお亡くなりになりましたね。その後の榊原さんの子孫とか、お家ってどうなったんですか?
やっぱり四天王の子孫だから、盤石で発展したんですか?
よくぞ聞いてくれました!!
実は私が死んだ後はね、お家断絶の危機、ピンチが何度も訪れるんですよ💦
最初の危機は、後を継いだ三男が26歳という若さで病死しちゃったことです。
まだ跡継ぎもいなかったし、
これはお家断絶か!?っていう状態!
まさに、どうする榊原家ですね!!
でも、このピンチを救ってくださったのは、我が殿、家康公なんです!ありがたや!
ウチは、鎌倉時代からの名家・大須賀家に長男の忠政を養子出していたんですが、
殿自ら指揮を執って、その忠政の長男・忠次を大須賀家から呼び戻し、榊原家の跡取りに据えてくださったんです。
ただ当時、大須賀家の跡継ぎは忠次だった為、ウチに取り戻したせいで、名家 大須賀家は断絶しちゃいましたけどね。
家康様自らが、榊原家を存続させる為に、尽力したってことは、
榊原さんへの恩を忘れていなかったんでしょうね!
でも、殿が亡くなった後に、次の危機がやってきました!!
関ヶ原の戦いの後、私は館林藩を治める立場になりましたが、実はその際、館林藩は人材不足で、藩の経営、行政を任せられる中心スタッフがいなかったんです。
【館林城に行ってきました】
そこで当時殿は、館林藩ために、幕府から3人の大老を送り込んでくれました。
けれどその3大老は、殿の死後は、幕府に戻る約束になっていたんです。
まぁ、田舎の支社に出向しても、次期が来たらやっぱり本社の徳川家に戻りたいですよね。
でも、この館林藩での重要な役職の、3大老がいなくなったら、
館林藩の運営に支障がでる
まさに、どうする館林藩!!
そして有難いことに、困った館林藩を2代将軍の秀忠公が救ってくださったんです!
秀忠公は、その3大老に、1,000石の旗本になる好待遇を条件に、館林に留まるよう説得を続け、結果、彼らもその子孫も、榊原家の大老を代々と続け支えてくれたのです!
【榊原康政のお墓に行ってきました】
ええ話✨
家康様、秀忠様2代に渡って、康政さんが亡くなった後も、お家を救おうとしてくれたのね。
秀忠様と言えば、関ケ原の戦いに遅れ、家康様の怒りを買っちゃいましたよね。
榊原さんは、これについて何度も家康様へ進言したから・・・きっとその恩があったのでしょう。
情けは人の為ならず!!
巡り巡って自分や子孫にまで恩恵が返ってくるのね~勉強になるわ💖
ただアイコさん、榊原家の危機は続きます。
次のピンチが一番ヤバかったかな。
榊原家8代目当主、政岑(まさみね)が、大失態をしちゃうんです💦
それは、8代将軍 吉宗公の時代の話です。
吉宗公は、なんてったて、あの有名な『享保の改革』で倹約令を出した人!!だから当時は、庶民から幕閣まで、皆倹約ムードでしたよ。
【徳川吉宗】
それなのに!!その倹約ムードの中!!
ウチの政岑は、派手な服装で吉原に通い、女遊びをしまくっていたんですよ~!
ホント羨ましい。。じゃなかった、お恥ずかしい!!
これが吉宗公にバレ、吉宗公は怒り心頭!
譜代の榊原家が、率先して倹約すべきなのに、逆に幕府の足引っ張るなど言語同断だって!!
私はね、有事の際、
すぐに江戸に駆けつけられるよう、水戸12万石の加増を断り、
わざわざ!あえて!石高が少なくても江戸に近い、館林10万石を選んだのです!
それなのに!!
子孫が遊郭に入り浸るなんて!江戸・吉原に中途半端に近い館林という土地が、かえって裏目に出てしまいましたよ泣
【榊原康政のお墓がある善導寺】
康政さんの苦労、子孫は知る由もないですね。
じゃぁ、これでついにお家断絶ですか!?
いえ、普通だと改易となるところですが・・・
家康公を支えた『榊原康政』お家は改易出来ない!
って、私の功績により許されたんです!
越後高田に懲罰的な転封で済み、それ以後は榊原家は、明治維新まで続きました。
すご~い!!さすが徳川四天王!!榊原康政ブランド最強ですね!
どんどん自慢しちゃってください~!
ルパンは3世までだけど、康政ブランドは何世代にも渡って子孫を守り続ける~
さて、お待たせしました本多さん!
次は、本多さんの子孫についても聞かせていただけますか?
ワシは、子孫については語らん!!
あれ!?なんか機嫌悪いですか?
アイコさん、忠勝の子孫はね、江戸時代はあまりいい処遇じゃなかったんだよ。
10回も転封させられたり、減封もあったりでね。あんまり話したくないんじゃないかな。
そうでしたか💦では、そのお話はまたいつか機会があったら、で。
おっと~そろそろ、お時間がきてしまいました!榊原さん、本多さん、楽しいお話を有難うございました✨✨
アイコさん、よかったらこの後、「館林うどん」を食べに行きませんか?
館林うどんは、桐生、水沢と並ぶ「群馬三大うどん」の一つで、ツヤとコシ、豊かな小麦の風味が魅力なんですよ♪
わぁ~♪美味しそうですね!榊原さんご馳走様でーす♬
館林うどんは美味いよな!ワシは認める!
わかった、わかった~ww じゃあ、皆で行きましょう♪
ではでは、皆さんまたね~(^^♪次回もアイコの部屋をお楽しみに!!