プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは!戦国LOVEのアイコです(^^)/
どうする家康、盛り上がってますね♪
1592年、国内を統一した秀吉は、次なる野望 “明(中国)の征服” を目指して朝鮮出兵へ!
ちなみに、秀吉側へ出奔した石川数正(松重さん💖)は、1592年肥前の名護屋城に赴き、そこで没しているので、
個人的にはドラマの最後に、家康と和正の感動の再会シーンがあるかも!?
と期待したけど、かすりもしなかったー💦
そんな妄想をよそに、茶々のご懐妊で幕を閉じましたww
さて、
豊臣秀吉は、なぜ朝鮮出兵をしたのでしょう?
当時の秀吉が、『鶴松が亡くなった悲しさを紛らわすため』や『茶々を励ますため』などの、 突発的な思いつきで起こした戦いだったのでしょうか?
いえいえ、そこはさすがの関白秀吉様!
そんな、一時の感情に惑わされた訳ではなさそうです♪
実は、朝鮮出兵から遡ること何と7年!
1585年9月、秀吉様が関白になった年には既に、家臣に宛てた書状の中に、
『明国を手に入れる』決意が書かれていました!
内容は、
「日本国に事は申すに及ばず唐国まで仰せ付けられ候心に候か(日本は、もちろん
明国まで手に入れる!!)」
おぉ~!!
小田原征伐の5年も前、すでに世界戦略を見据えていたのねー♪
さらに1587年、九州征伐後、秀吉は朝鮮国に対し『明の征服のために味方になるよう交渉』を開始していたそうなので、もうかなりの本気モードです!
長年の構想で朝鮮出兵を考えていたならば・・・
秀吉にとって四国平定、九州平定、小田原合戦は、『朝鮮出兵に向けての準備の戦』だったのかもしれません。
朝鮮出兵をするなら、九州は、
軍事拠点・補給地として重要な場所。
だから、秀吉がこの土地をしっかりと治める事は、マストになりますよね。そのため秀吉は、九州の戦国大名を味方につける必要がありました。
【名護屋城跡】
だから九州平定の時、島津義久への降伏条件は、北条氏政へ命令したような切腹や、お家取り潰しもしない「ゆるい」対応だったのかもしれません。
一方、小田原合戦では、朝鮮出兵を前に国内に抵抗する勢力があると厄介なので、とにかく北条は、
徹底的に滅ぼしておく必要があった!
さらに小田原合戦は、全国の武将、『戦国オールスターズ』が一同に会する初めての戦でした。
だからこの、『全国武将が総出で戦う』という意味で小田原合戦は、
朝鮮出兵の予行練習を兼ねていた!
のかもしれません。
そして、豊臣の『戦国オールスターズ』の圧勝に終わった小田原合戦!
この戦いに手応えを感じ自信をもった秀吉は、背中を押されたように、その先の『明国征服プラン』へ向けて、
満を持して、朝鮮出兵を実行したのです!
しかし、この朝鮮出兵では、敵に水路を絶たれてしまい・・・
結果的に日本軍は、朝鮮半島での孤立による苦戦で、撤退を余儀なくされました。
トホホ。
苦戦の末に撤退したこの戦。豊臣政権にとってさらにトホホなのは、この朝鮮出兵のせいで、
文治派と武断派の対立が激化したこと!
なぜ亀裂が深まったかと言うと、
文治派である石田三成が、朝鮮での戦況を秀吉様に報告する担当だったのですが、
その報告内容が “ チクリ ” や、逆に事実をゆがめた “ 讒言 (ざんげん)”だったりで、
【石田三成】
現場で苦労して戦った福島正則や加藤清正、黒田長政らの武断派は、秀吉様からの評価が低く、逆に怒られたりして、『三成ふざけるなー!!』って怒り心頭しちゃったのです💦
この対立がね~
後々、徳川さんちに上手く利用され、政権崩壊へと繋がっていくらしいわよー
残念よね~奥さん~
一方、徳川家康にとっては、この朝鮮出兵は、大きな飛躍のチャンスとなりました!
その理由は大きく2つ。
①徳川軍は、朝鮮へ渡ることを免れたため、軍事力を消耗せず力を温存できた。
②名護屋城で家康は、全国の武将間の相談役となり人脈を作り、豊臣家臣団とも仲良くなれた。
ドラマでも、浅野長政が秀吉に盾突いた場面で、
家康が「ここは私にお任せを」ってトラブルを押さえていましたよね!
この人脈づくりが、後の関ケ原の戦いを、有利に展開させるカギになるらしいわよ~
徳川さんちって、やり手よね~スゴイわよね~奥さん~
って、誰なの!?この噂好きおじさんww
それにしても、
そもそも秀吉は、何でそんなに明(中国)の征服に野心を燃やしたのだろう?
きっとそれは、
日明貿易と関係があるんじゃないか?
とアイコは妄想します。
室町時代、3代将軍足利義満が始めた日明貿易。
この取引形式は、明を中心にした周辺諸国の国が貢物をささげる代わりに、明の皇帝がその貢物の恩恵を与えてあげる、という主従の関係でした。中華思想を掲げる明は、まさに世界の中心!
そんな明国に、へりくだって貢いで、
お礼に、貢物の5倍~6倍もの返礼品を貰っていたそうです!
明に貢げば、どんどん儲かる~✨
でも、そうやって利益を最優先した結果、日本(室町幕府)が失ったものがありました。
それは 、プライド 。
明から見れば、日本は地位が下の従属国です。戦国期になっても、この感覚を引きずったまま。
だからきっと秀吉は、“日出ずる国” 日本が、属国扱いされ続けることに、
終止符を打ちたかったのではないでしょうか?
秀吉と言えば、貧しい百姓出身で、どん底の劣等感をバネに、馬鹿にしてきた人達へオセロをひっくり返すようにリベンジし、のし上がってきた人生です。
だから、
劣等感からくるプライドは人一倍強い!!
例えば、武士なのに関白という圧倒的地位を手に入れたり、
聚楽第に落書きされただけで全員打ち首にする、血筋がいい女性ばかりを欲しがる、などなど。
そんな秀吉の性格なら、
いつかは明を見返してやる!
天下を平定した後は、中国大陸へ!
と決意し、早くから 明を目指していたのは、自然な流れだと思うんですよね。
さらに、明の征服を目指していた理由は、秀吉個人のプライドだけではないようです。
忘れちゃいけないのは当時、世界は「大航海時代」の真っ只中だったということ。
特に、ポルトガルとスペインが世界規模の航海を行って、グイグイとアジアに入り込んできていました。
このままでは、日本も侵略されてしまう?
そんな脅威もあり、秀吉は、自分と日本のプライド、そして現実に、欧米列強に対抗し国を守るために、海外覇権争いの戦いに打って出る決断をしたのではないでしょうか?
朝鮮出兵は、秀吉の晩年の失策として、たびたび批判されますよね。
豊臣政権最大の失敗!とまで言われることもある。
確かに、多大な犠牲を払い、歴史的には失策として語られますが、アイコはちょっと違います。
秀吉と言えば、他の人が思いつかない、皆があっと驚くような発想と行動力で、
時代を切り開いた革命児。
本能寺の変後のまさかの「中国大返し」や、城を水で沈没させる型破りの「水攻め」、小田原合戦での驚きの「一夜城」、荘厳で圧巻の大阪城の築城、ありえないほど金ピカの茶室、刀狩り、などなど、
いつだって、その視点や発想力、行動は、
凡人のはるか先にあります。
そして天下統一後は、世界を見据え、明の国を攻めるぞー!と構想を練っていた!!
あの戦国期に、これ程までに壮大な計画、中華の大国の明を攻め落とす事を、
本気で考えていた日本人っていたでしょうか?
どん底から天下人へ。
未来を読み、大きな野望と奇抜なアイデアを持って行動し、時代を切り開いてきた豊臣秀吉。
朝鮮出兵は、そんな秀吉らしい、人生の最後のチャレンジだったのでしょうね!
だから畏敬の念をもって・・・
「秀吉様、大変お疲れ様でした!」と労いたいアイコなのでした(^^)/
ということで、今回はこれでおしまい♪ちょっと長くなりました~
次回のアイコのブログ(※不定期投稿)もお楽しみに~(^^♪
そうそう!今年も、9月の関ヶ原の戦いの記念日が過ぎましたねー
東軍を勝利に導いた裏切りの代名詞!あの小早川秀秋氏にインタビューした記事はこちら♪
涙なしには語れないほどツライ人生!!是非、見てね( ^^) _U~~
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