
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな会社員
こんにちは! 戦国LOVEのアイコです(^^)/
今回も、結城埋蔵金のお話続きだよー☆ アイコの妄想も聞いてね!
前回は、結城家初代・結城朝光さんが奥州藤原征伐で莫大な財産を得たってお話でしたが、
今回は、それから約350年程経った、17代・結城晴朝(はるとも)の時代のお話です。
晴朝と言えば、例の、刀剣乱舞で大人気、日本三大名槍の一つ『御手杵(おてぎね)』を作らせた人だね!
財力に物を言わせ、あんなに立派で重く実用性のない大槍を作らせて
『名家・結城家ここにあり!!』的なアピールをするって・・・
結城晴朝さんって、見栄っ張りな方ですのぉ~
1590年、晴朝は、小田原征伐後 天下人となった豊臣秀吉に取り入るため、秀吉が養子にしていた徳川家康の次男・
秀康(ひでやす)を養子としてもらい受けました。
余談ですが、
晴朝は、秀康を養子として受け入れるため、それまで養子として育てていた結城朝勝(ともかつ)を離縁し、さっさと実家の宇都宮家へ返してしまいました。
この、非情な仕打ちをされた元養子・朝勝は、新しい養子・結城秀康を恨み、生涯アンチ徳川に燃えることに・・・
結城朝勝が、恨みをパワーに戦っていくお話は、こちらを見てね!
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https://sengokucafe.com/2354/
晴朝さん、養子の朝勝を15年間も育てたのに、
あっさり捨てるなんて、ヒドイなぁ💦
お家存続・繁栄のためには、やむを得ない決断だったのかもしれないけどさ。
でも後に・・・
結城秀康の長男・結城忠直(ただなお)が、非情にもサッサと越前 “ 松平 ” の名字に改名するので、
晴朝が、秀吉にすり寄り、朝勝との縁を切ってまで守り抜きたかった結城家の “ 結城 ” の名字は、結局は使われなくなってしまうんだけどね。皮肉だのぉ。
新たに結城家・18代当主となった結城秀康は、1600年、関ヶ原の戦いの戦功として、
58万石の石高アップで越前(福井県)へ転封となり、越前松平家の初代当主となったのでした。
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ただこの話、養父の晴朝にとっては迷惑な話だったね。
だって、福井へ国替えすることで、先祖代々の結城の土地も失い、
結城城も廃城にさせられてしまう。
代々受け継いだ、あの莫大すぎる財産も没収されてしまう!!
っていうか・・・
そもそも、家康が国替えを命じた狙いは、結城家の莫大な財産を没収するためだった!?
ああ~!!
結城家の金銀財宝が、大ピンチ!!
でも、
そこは、したたかな結城晴朝さん。きっと心の中で、こう言い放ったことでしょう。
家康、あんたには絶対に財宝は渡さない!
結城家なめんなよ!!
あらっ!品がない💦
これは北関東の、ヤンキー!?
いえいえ、結城家は名家です。品のいい名家ですよ!!
このイラストはフィクションであり、関連の団体とは関係ありません笑笑
こうして晴朝は、自分が茨城から福井に移動する前に、なんだかんだと1年間ほど時間を稼ぎ、
代々受け継いだ財宝を、結城市から栃木県下野市に広がる旧結城領のどこかに埋蔵したといわれているのです。
これが「結城埋蔵金」伝説の始まりですって~
奥さん~
結城晴朝さんが福井に移った後、早速、徳川家康は発掘を開始しました!
場所はまず結城城、そして晴朝の隠居所の会之田城(栃木県)や越前の福井城(福井県)まで探し回りました。
けれど、発見できず。
その後、財政難に陥った8代将軍・徳川吉宗も大岡越前守に発掘を命じました。けれど、発掘作業中に土砂崩れが起き、
11名の犠牲者を出して中止。
その後も、徳川幕府の老中・阿部正弘や大正期には貴族院議員で旧結城藩主・水野家にゆかりのある水野直(なおし)など、時の権力者が探したそうです。
しかし、発見できず。
う~ん。。
歴代の権力者が、こんなに探しても見つからないなんて。
一体どこに隠したんだろう?
晴朝さん、天国でほくそ笑んでたりしてww
でもさ、戦争とか不景気とか、人々が不安を感じる現在、『埋蔵金』って・・・なんか夢があるよね!
ちなみに、アイコが思うに、
埋蔵金がある場所は、やっぱりあそこしかないと思うな~。
その場所は、どこかと言うと・・・
その場所は・・・・
ひ・み・つ(^_-)-☆💖
※周辺住民の方々に迷惑がかかりますので、控えさせていだきます~ww
さて、こちらは結城城址公園です。
見事に何の史跡もない、ただの広い公園、というか広場でした。
きっと、徳川幕府が、建物を破壊して、いたるところを徹底的に掘り起こして、血眼になって埋蔵金を探したから、何も残っていなんだろうね。
埋蔵金発掘に奮闘した事なんて、微塵も感じさせないほど、今は、穏やかでのどかで・・・
まさに『夏草や兵どもが夢の跡』って感じww
ただ、城址公園入口には、いくつも『不審者注意!』の看板がありました(^-^;
もしかして、未だに埋蔵金を探す人達が、時々出没したりして?ww
例えばこんな人とか。
・・・って、川口探検隊かい~ww
さて、不審者には会いたくないし、そろそろ帰ろう~と公園内を歩いていたら、大きな石碑に出くわしました。
近づいて、読んでみると・・・
ゆく春や むらさきさむる 筑波山 ― 蕪村 ―
ん!?蕪村?
って・・・与謝蕪村のこと?
与謝蕪村って、たしか俳句で有名な人だよね?
調べてみると、与謝蕪村とは、
松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。
また、俳画の大成者でもある。(Wikipediaより)
蕪村筆 俳画 自画賛(岩くらの狂女恋せよほととぎす)
/Wikipediaより
なるほど~。
でも、この俳句と俳画の巨匠の石碑が、なぜこの結城城址公園にあるんだろう?
実は、結城市と与謝蕪村、そこには意外な関係があったのです!
じゃあ、今日はこの辺で・・・つづく(^^)/
次回は、戦国アイコの結城市散策、最終回!
与謝蕪村と結城秀康、2人にとってゆかりのあるお寺に行ってきたお話だよ♪
お楽しみに(*^^*)