
プロフィール
名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな20代独身会社員
- 特徴:残業は嫌い。仕事の後カフェでまったりするのが大好き。
- 趣味:猫と遊ぶこと。推理小説を読むこと。
- モットー:ほどよく頑張る。
- 好きな食べ物:スウィーツ(特にクリームあんみつ)
- 嫌いな食べ物:梅干し、納豆。
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名前:戦国アイコ
戦国武将とカフェが大好きな20代独身会社員
こんにちは!戦国LOVEのアイコです(^^)/
今日は、小田原征伐のお話から💖
秀康が結城家に養子に出された件と、小田原征伐には深い関係があります。
時は1590年、秀吉は、総勢22万という史上空前の大軍勢で小田原城を攻め、
北条方(関東全域の各支城の兵力すべてを合わせても10万)を降伏させました。
【小田原城】
戦後、秀吉は関東平定の功労者である家康に対し、
家康の領地の三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐の五か国を取り上げる代わりに、
北条氏の遺領である関東一円(旧北条領)へ国替えさせ、240万石を与えたのです。
この時代、江戸は未開の地だったけど、
この時の江戸移封が、後の徳川江戸幕府へと繋がるのね。
さらには、秀康を結城家に養子に出し家督を継がせた上で、家康に、結城領11万1,000石を与えました。
つまり家康にとっては、
人質に出した秀康が、ラッキーにも、奥州の手前の茨城・結城11万石領地つきで返されてきた
ということ。
何かモヤっとする。
秀吉、家康双方にとっては、良い取引なんだろうけど。
秀康さん、2人の父の都合のいい駒扱いだね。
こうして秀康は、地方の一大名として、家康の配下に入ることになりました。
秀吉の命令で、当時、結城家当主だった結城晴朝(はるとも)(58歳)は隠居させられ、
秀康は晴朝の姪・鶴子との婚姻により、結城家の婿養子になりました。
【結城晴朝/Wikipediaより】
結城家の家督と結城領11万1,000石を継ぎ、ここでやっとお馴染みの、
『結城秀康』の誕生です!!
ちなみに結城家は13年前、反北条同盟のため、
宇都宮家の次男で、当時9歳だった朝勝(ともかつ)を養子に迎えていました。
けれど北条が消えた今、宇都宮、佐竹、結城の3者同盟は必要なくなってしまったのです。
3者連合VS北条の「沼尻(ぬまじり)合戦」は、過去ブログを参照してね!!
↓ ↓ ↓ ↓
宇都宮城ヒストリー💖(2)沼尻の合戦北条氏 vs 佐竹義重・宇都宮・結城連合
今後、結城家の最重要ミッションは「豊臣家と親密になること」に方向転換!
【豊臣秀吉/Wikipediaより】
秀吉としては、我が子「鶴松」が誕生し秀康が邪魔になり、どこかに上手く追い出したい。
一方、結城家としては、秀吉の養子で、なおかつ徳川家康の実子である秀康を養子に迎えることで、
秀吉と家康と一気に縁深くなることが出来る!
まさに一挙両得!WinWinの関係(*^^)v
こうして結城晴朝は『実子がいないので是非、秀康様を婿養子として受け入れたい』と懇願し、
それまで養子として14年間育て、22歳になった朝勝とはサッサと縁組を解消し、
実家の宇都宮家へ返してしまったのでした。
秀吉は、鶴松が産まれたので、秀康を追い出す。
結城は、秀康を養子にもらい、今まで育てた養子・朝勝を追い出す。
って、どの父親も自分の都合ばかりだね💧
秀康欲しさに朝勝を簡単に捨てるって、人としてどうなの⁉
でも・・・
この戦国乱世、お家を守るために、非情はやむを得ないのか❓❓
ちなみに、結城家を追い出された朝勝は、死ぬまでアンチ秀康!反徳川!を貫いていくことになります。
朝勝のその後の人生については、過去ブログを参照してね!!
↓ ↓ ↓ ↓
宇都宮城ヒストリー💖(5)宇都宮氏の結末は?このエンディングにあなたはきっと涙する
結城家の家督を継いだ秀康は、早速、実母『お万の方』を呼び寄せて一緒に暮らすことにしました。
実はお万の方は、秀康が大阪城に人質に出された翌年、家康の元を飛び出し、
秀吉の計らいで大阪城下に住んで、秀康と時々会い見守っていたのです。
実父には冷遇されたけど、実母は愛情深い人で良かった!
そして今度は一緒に住めるんだね!
半年ぶりに会った2人。
お万の方にとって、秀康は見違えるばかりに堂々としていました。
『母上お待ちしておりました。ここがわが城です。これからは安心してお過ごしください。』
秀康さん、立派!!
突然放り出された恨みつらみもあるだろうけど、
一人前の城持ちになった自信と自覚が出てきたのかな?
宙ぶらりんの人質養子でいるより良かった!
と思って、やって行くしかないもんね!
そして秀康と妻の鶴子は夫婦仲が良く、鶴子はほどなくして懐妊しました。
1591年7月、秀康17歳の時、鶴子は無事に女児を出産します!
やった~!!初めての我が子に喜ぶ秀康!!
けれど反対に、妻の鶴子は悲しみ、ひどく落ち込みました。
必ず男子を産むと約束したのに、
申し訳ございません!!
不甲斐ない鶴子をお許しください!
そう言って、やつれきった顔でいつまでも泣きじゃくるのでした。
まぁ、そんなに自分を責めないで~
戦国時代、確かに男子出産したいだろうけど、
こればっかりは仕方ないよ。
秀康もお万の方も、晴朝も、さほど気にしていない様子で、
『男子でも女子でもどちらでもいい。丈夫な子であれば、それでいい。』
と繰り返しいい聞かせました。
しかし、
『結城氏の血を引く、後継の男子を挙げるのが自分の使命』
そう信じて疑わない鶴子にとっては、よほどの敗北感だったようで、
いつまで経っても赤ちゃんを抱こうとはせず、乳も与えようとはせず、
赤ちゃんが泣き叫んでいても、魂が抜けた状態で、そのまま赤ちゃんを放置。
結局、乳は乳母が与え、お万の方が世話をするようになりました。
おっと、まさかの育児放棄
( ̄▽ ̄;)!!
おーい!鶴子さん、育児に戻ってきて💦
あなたの赤ちゃんだよ~
男子じゃないからって、いくらなんでもひどくない?
戦国の世、女子は女子の生き方があるし。
男子ばかりがいいわけじゃないと思う。
一方秀康は、こうした鶴子の頑固さにイラっとしつつも、初めての我が子を可愛がり慈しむのでした。
名前は、結城家末代まで栄えるように『松姫』と名付け、家康にも秀吉にも出産報告の書状を送ります。
秀吉には、
『妻の名前は鶴で、子供の名前は松です。
偶然にも鶴松様(秀吉の1番目の子)のお名前を分けていただくことになりました♪』
と大喜利のような書状を送り、新米パパはもうルンルン気分♪
今まで辛い出来事や理不尽な仕打ちに、怒り、苦しみ、時には絶望に打ちひしがれた秀康。
でも、そんな日々を経て、結城家におさまり母親も呼び寄せ、結婚し子供にも恵まれました。
妻はメンタルやられて心配だけど、やっと手に入れた幸せな日々が、このまま続いて欲しい✨
さて、
秀吉と家康、両方に出産報告の書状を送った秀康でしたが、
家康からは祝儀が届けられたのに、秀吉からは、一向に何のリアクションもありません。
ん?無視されてる?それとも何かあった??
つづく☆
じゃあまた来週ね💖(^_-)-☆
参考文献:梓澤 要『越前宰相秀康』/志木沢 郁『結城秀康』/Wikipedia